鳥取県日野郡:金持神社(かもちじんじゃ)

鳥取県

金持神社(かもちじんじゃ)は、鳥取県日野郡日野町金持(かもち)にある神社。その縁起のよい名前から、金運・開運祈願の神社として広く信仰を集めている。このため、ジャンボ宝くじ発売シーズンになると参拝者が増える。

金持(かもち)とは、古くは、玉鋼の産地で、原料の金(砂鉄のこと)が採取できる谷を多く持っていた事に由来する。近隣にある金屋子神よりも古いが、スサノオ神よりも新しい神である。810年、出雲国の神官の二男が、伊勢神宮参拝のため、この地(当時は伯耆国日野郡金持郷)を通りかかったところ、お守りとして身につけていた玉石が急に重くなり、この地に宮造りしたといわれている。鎌倉時代~南北朝時代にかけての武将・金持氏の信仰が篤かったと伝えられている。

境内には、鳥取県銘木百選中、サワラ、チャンチンの2本の木が植えられている。

金運向上のパワースポットとして知られています。金持神社では、使わなくなった財布をお祓いする「財布お祓い」という神事が行われている。

金持神社

810年出雲の神官の次男が、伊勢神宮参拝のためこの地を通りかかったところ、お守りとして身につけていた神前の根付の玉石が急に重くなりました。そして、この地に宮造りするよう神夢があったので、宮造りしたと伝えられています。

金持郷は、昔、黄金より勝ると言われた「玉鋼」の産地で、原料の真砂鉄が採れる谷を多く所有し、金具の文字で表されているように、鉄(てつ)のことを金(かね)と読んでいた事から、金の採れる谷を多く持つ郷「金持」と呼ばれるようになったと伝えられています。

開運伝説

「長谷部信連公の再起」 平家物語や源平盛衰記など多くの古書で快男児としてうたわれている長谷部信連公。1180年、後白河法皇の第二皇子の平氏追討計画が事前に発覚、信連公は密かに皇子を宮殿から脱出させ、孤軍奮闘しました。そのため七年間、金持郷に流刑の身となりました。その間に日野町にとって大切な延暦寺、長楽寺、祇園神社などを残しています。平氏滅亡後、源頼朝御家人七人衆の一人として、安芸国宮島の検非違使、能登国の地頭職として山中温泉の発掘等を手がけ、のちに加賀百万石前田家の筆頭家老職(穴水城主)として明治まで続く長氏の始祖となりました。

拝殿

90段の少し急な階段を上ると、すぐに拝殿が見えてきます。
金持神社では、本殿と拝殿が同じ場所にあります。
お社は大きくはないですが、古くからの歴史を感じさせるたたずまいとなっています。

願かけ・当選絵馬

お社の裏手に回ると、たくさんの方が願いを託した願かけの絵馬を目にすることができます。
また、札所には、実際にご利益があった方からのお礼の当選絵馬がかけられています。
商売が上手くいったなどの喜びと感謝の声がたくさん届いています。

境内の銘木

金持神社境内には、鳥取県銘木100選中、サワラ、チャンチンの2本があり樹齢600年位と云われています。サワラは神社の遷宮の際に屋根のコワ材として利用するために植えられたものと考えられています。チャンチンはセンダン科の薬木で、実は目薬に用い、先人が鉄生産の予防薬として、中国より取り寄せたものと考えられています。 県内では、このチャンチンの木、1本しか確認されていません。

御神徳

【御祭神】

天之常立尊(あめのとこたちのみこと)
八束水臣津努命(やつかみずおみずぬのみこと)
淤美豆奴命(おみずぬのみこと)

【ご利益】

産業開発・必勝祈願・五穀豊穣・交通安全・商売繁盛・交易・国土開拓・開運

金持神社の属性

金持神社は地属性のパワースポットとされています。

地属性は「忍耐力・継続力・蓄積力」を持っている人です。縁の下の力持ちで、影のリーダータイプです。
とにかく我慢強い、継続できる力があります。ただ、頑固で融通が利かない人で、視野が狭くなりがちです。
視野を広く持っていかないと小さいところで躓いてしまいます。
広い視野を持つために地属性のパワースポットを訪れましょう!

アクセス

JR伯備線根雨駅からタクシーで10分
拝観時間  10時00分~16時00分
拝観料   無料
住所    鳥取県日野郡日野町金持1490

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