山口県下関市:赤間神宮

山口県

赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社。幼くして亡くなった安徳天皇が祀られている。元来は寺院であり、神仏分離以前は阿弥陀寺といった。「耳なし芳一」の舞台であり、平家一門を祀る塚があることでも有名。

安徳天皇80代安徳天皇・言仁(ときひと)は、高倉天皇と平徳子(建礼門院)の皇子で、平清盛の孫にあたる。そのため、平清盛ら平氏が外戚として権力を振るうことができた。治承・寿永の乱 源平合戦の際に、平氏とともに都落ちして西国に赴き、壇ノ浦の戦いにおいて、入水した。水難除けや家内安全、安産祈願のほか、浄化のパワーもあるとされています。水難除けや家内安全、安産祈願などのご利益があるとされています。

【シムホワイト推奨最大配合】
究極の美白クリーム

水天門

赤間神宮の神門になります。二位尼は海底に都があると信じ、入水したことから、安徳天皇を慰めるため、竜宮城に見立てて作られました。

「平家物語」の中で、平家の最期を悟った二位尼(平時子)が安徳天皇と一緒に壇ノ浦へ入水する時に、安徳天皇から「わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかけられます。この時、二位尼は安徳天皇に「波の下にも都がございます」と話しかけ、覚悟を決めて三種の神器・八尺瓊勾玉と天叢雲剣を身に着けて入水します。
このような事から、若干8歳で入水して命を落とした幼帝・安徳天皇を祀る「赤間神宮」は、「平家物語」の入水シーンを元に海の中の竜宮城をイメージして造られたと言われています。また、「平家物語」では安徳天皇は入水の際、極楽浄土へ旅立つ為に東を向き遥か遠くにある「伊勢神宮」を拝み、西を向いて念仏を唱えたと言われています。

大安殿

水天門をくぐり、階段を上がると外拝殿にたどり着きます。境内にある手水舎で清めてから、参拝客はここで手を合わせます。参拝作法は「二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)」です。

大連神社

大連神社の敷地内にある、紅石稲荷神社。平家一門が落ち延びる時に、天城の鎮護であった京都の伏見稲荷大社を勧請したと伝えられています。長く続く赤い鳥居が、神秘的な場所です。

日本西門鎮守八幡宮

日本西門鎮守八幡宮は、大分県にある宇佐八幡宮から京都府の石清水に分霊を勧請する際、日本の西門の守り神として、阿弥陀寺とともに、日本西門鎮守八幡宮を建てられたと伝えられています。

芳一堂

有名な物語「耳なし芳一」の舞台として有名な赤間神宮。山口県出身の彫刻家、押田政夫(おしだまさお)氏により作られた耳なし芳一の木像が祀られています。

実は、この「耳なし芳一」の怪談話は「赤間神宮」と名前が変わる前の「阿弥陀寺」がモデルとなっている事でも有名です。「芳一堂」の中には琵琶を弾いている「耳なし芳一」の木像があります。木像をよく見ると耳がありません。亡霊にもぎ取られたあとの、寂しげな姿が、なんとも言えない存在感を漂わせています。

耳なし芳一

むかし、阿弥陀寺という寺に、目の不自由なびわ法師の芳一という男がいました。ある夜、寺でびわの稽古をしていた芳一に、びわの弾き語りが聞きたいという人がやってきたので、びわを弾いて聞かせました。

その時、女性の声で「このことは誰にも言わず、三日三晩びわの音を聞かせてほしい」と頼まれた芳一は、夜な夜なびわを弾いて聞かせます。そのことを不審に思った和尚が、夜に出かける芳一の後をついていくと、安徳天皇の墓の前でびわを弾いている芳一の姿を見つけます。

芳一が亡霊に憑りつかれていると分かった和尚は、芳一の体中に亡霊には見えないようにする経文を書き、「話しかけられてもけして声を出してはいけない」と言い聞かせました。その夜、亡霊が芳一を迎えに来ますが、経文が書かれた芳一の体は亡霊には見えません。

しかし和尚は、芳一の耳にだけ経文を書き忘れてしまい、亡霊には芳一の両耳だけが見えてしまったのです。そのため、芳一は亡霊に見えた耳をもぎ取られてしまいました。

アクセス

JR山陽本線下関駅からバスで10分
JR山陽新幹線新下関駅からバスで30分
中国自動車道 下関ICから車で13分
拝観時間  6:00~18:00、宝物館/9:00~17:00
拝観料   無料
住所    山口県下関市阿弥陀寺町4-1

口コミ掲示板

タイトルとURLをコピーしました