宮古島(みやこじま)は、沖縄本島から南西に約300km、経度 東経125度、緯度 北緯24度に位置し、太平洋と東シナ海の間にある島。南西諸島西部の島嶼群宮古列島に属し、先島諸島の一部を成している。宮古列島は宮古諸島とも言う。
「宮古島」という名称は、「ミャーク」もしくは「ミヤク」という音に当てられた言葉のようである。ミヤコの名称が歴史上初めて登場するのは、中国の元 (王朝) 元時代(13世紀)の歴史書『元史』の『温州府誌』からであり、「婆羅公管下密牙古人(ブラコウカンカミヤコジン)」が温州に漂着したと記述されている。「婆羅公(ブラコウ)」とは、城辺字保良を統治していた豪族のことだといわれている。
島全体に自然のパワーがみなぎるが、中でも宮古島の石庭はパワースポットとして注目されている。宮古神社(みやこじんじゃ)は金運にご利益のあるパワースポットとなっています。 こちらを参拝することにより、金運向上・商売繁盛・五穀豊穣・厄除開運のご利益があるとされています。
宮古島のパワースポット・見どころ
宮古神社
宮古神社(みやこじんじゃ)は沖縄県宮古島市にある神社。熊野三神、豊見親三神を祀る。開運と金運上昇、商売繁盛などのご利益があるとされています。
天正十八年(1590年)、沖縄本島の波上宮より熊野三神が勧請され、宮古権現堂を建立した。大正14年(1925年)に町社・宮古神社が創建された。昭和15年(1940年)に紀元二千六百年記念事業として、宮古神社を県社に昇格せんとして、宮古権現堂の熊野三神、町社・宮古神社の二柱の神を合祀。境内地を西里5番地(現在の境内地)に移し、同19年(1944年)に新・宮古神社へ遷座が行われた。県社昇格が内定したが、戦災炎上。漲水御嶽に祭神を合祀。昭和31年(1956年)、目黒盛定政を増祀。昭和55年(1980年)、旧境内地(西里1番地)に本殿、拝殿を再興し、遷座祭を斎行。平成22年(2010年)に、西里5番地に新社殿が竣工、遷座祭を斎行した。
Info
参考URL | 一般社団法人 宮古島観光協会 公式WEBサイト |
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住所 | 沖縄県宮古島市上野宮国1426 |
一覧 | 沖縄県のパワースポット一覧 |
類似のパワースポット
沖縄県南城市:久高島
久高島(くだかじま)は、沖縄本島知念岬の東海上5.3kmに浮かぶ、周囲7.8kmの細長い小島。子宝にご利益があるとされています。
北東から南西方向にかけて細長く、最高地点でも17mと平坦な島である。土質は島尻マージと呼ばれる赤土で保水力には乏しい。河沼はなく水源は雨水と湧き水を貯める井泉(カー)に依存している。海岸沿いには珊瑚礁で出来た礁湖(イノー)が広がっている。
琉球王国時代には国王が聞得大君を伴って島に渡り礼拝を行っていたが、後に斎場御嶽から久高島を遙拝する形に変わり、1673年(延宝元年)からは、国王代理の役人が遙拝を務めるようになった。
沖縄の祖神、アマミキヨが降り立ったのが、久高島のカベール岬とされている。カベール岬には「生まれ変わりの岩」があり、この岩の窪みに入って出ることで生まれ変わりの儀式ができるという。
鹿児島県熊毛郡:屋久島
屋久島(やくしま)は、九州大隅半島の南南西約60kmの海上に位置する島。豊かで美しい自然が残されており、島の中央部の宮之浦岳を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、島の面積の約21%にあたる107.47km²がユネスコの世界自然遺産に登録されている。
小さな島のなかに2000mの標高差があり、南国の花々が咲き乱れる一方、厳しい氷雪もあり、北国の植物も生息している。縄文杉、ウィルソン株などの屋久杉が自生するほか、日本最北端のガジュマル林がある。
福岡県宗像市:沖ノ島
沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市の旧大島村域に属する、九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島である。宗像大社の神領で、ここに宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃ・おきつみや)が鎮座し、田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る。
島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも毎年5月27日外の上陸は基本的に許されず、その数も200人程度に制限されている。無人島であるが、現在は沖津宮の神官が交代で常時滞在している。
広島県福山市:仙酔島(せんすいじま)
仙酔島(せんすいじま)は、瀬戸内海国立公園の中心にある離島です。
大規模な火山活動により主に溶結凝灰岩で形成されたもので、希少な地質で形成されています。
「仙人が酔ってしまうほど美しい」という言い伝えが残っており、歴代の皇族も度々訪れています。
仙酔島には太古から七福神や龍神様などの神々が鎮座していると伝えられています。
仙酔島には多数のパワースポットと絶景スポットが存在します。