尾鷲神社は、三重県尾鷲市の神社。素戔嗚尊を祀る。尾鷲神社の大楠で知られる。
二本の楠がおよそ5mの間隔をあけて立っており、互いの枝が重なり合い一つの樹冠を形成している。南側の大きな樹が樹高18m、目通り幹周10.2m、北側が樹高24m、幹周り9.5m。樹齢1000年と推定されている。また、本殿後方の小山には幹周り9.0mの第三の大楠が聳えているが、立ち入る事はできない。
尾鷲神社の本殿は、元はこの楠の西側にあったが、宝永の大地震(1707年)による大津波で流失し、その後現在地に再建された。社宝の獅子頭は、毎年2月1~5日に行われるヤーヤ祭りで公開される。
尾鷲神社のパワースポット・見どころ
ご神木「夫婦楠」
尾鷲神社の入口、道路に面した南西角に2本の大楠が聳えている。二本のクスはおよそ5mの間隔をあけて立っているが、互いの枝は重なり合って一つの樹冠を形成している。
南側の大きな樹が樹高18m、目通り幹周10.2m、北側が樹高24m、幹周り9.5mと記されており、どちらも県内十傑に入る堂々たる巨木である。このクスは樹齢1000年と推定されている。
御神徳
尾鷲神社の御祭神
武神である「武早須佐之男命」の神力を頼って、戦国時代には数多くの武将たちが必勝祈願に訪れたといわれています。
尾鷲神社のご利益
良縁・夫婦和合・子授かり・必勝・マイナスエネルギーの除去、浄化、癒し、リラックス・潜在能力、霊性の開発 など
行事
ヤーヤ祭り
三重県の東紀州に位置する尾鷲神社は、天下の奇祭ヤーヤ祭りでつとに知られ、尾鷲七郷の総鎮守(氏神様)として親しまれています。
社宝の獅子頭は、毎年2月1~5日に行われるヤーヤ祭りで公開される。
ヤーヤ祭り とは、尾鷲神社の例大祭の通称名である。この呼び名の由来は、武士が合戦時に名乗りをあげる「ヤーヤー我こそは…」からといわれる。これは戦国時代に遡り、当時の庄司・仲氏をはじめとする地侍衆が尾鷲神社の大神等の武運にすがり合戦に大勝利した事を後世まで語り継ごうと、鎌倉時代の頃から執り行われてきた神事(例大祭・大弓の儀など)に期間中を賑わそうと氏子が中心で行う祭事(練り、大名行列、手踊りなど)を取り入れて祭りを行うようになった事に起因している。
ヤーヤ祭りは、もともと旧暦の正月(1月1日から8日)の8日間、神事と祭事が賑わう祭であったが、明治以後の新暦の採用など数度の改革を経て、現在は2月1日から5日の5日間に短縮されて執り行われている。
しかしながら、祭りの伝統の継続継承を重んじ、約350年程前(江戸時代の初期)に形成された神事と祭事を3日間短くなった現在でも、ほとんど変える事無く伝えているのがこの祭りの大きな特徴でもある。
祭りの形状は、旧尾鷲町である20町から毎年3町が祷務町となり、その代表者を祷人と称し、汐撫・弓射にあわせ薙刀振り、飾り弓持ちなど大名行列を仕える子役達全体を役人といい、特に祷人・汐撫・弓射の3人を将党と呼び、この役人を従えて神事、祭事における奉仕の主役を務める。
Info
参考URL | 尾鷲神社 |
---|---|
アクセス | 尾鷲駅から徒歩で |
拝観時間 | 自由 |
拝観料 | 無料 |
住所 | 〒519-3606 三重県尾鷲市北浦町12−5 |
一覧 | 三重県のパワースポット一覧 |