輪王寺(りんのうじ)は、栃木県日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院である。
創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。
日光山中にある寺院群の総称でもあり、堂塔は、広範囲に散在している。国宝、重要文化財など多数の文化財を所有し、徳川家光をまつった大猷院霊廟や本堂である三仏堂などの古建築も多い。境内は、東照宮、二荒山神社の境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。
大猷院の夜叉門には、毘陀羅(びだら)阿跋摩羅(あばつまら)健陀羅(けんだら)烏摩勒伽(うまろきゃ)の四夜叉が納められているが、烏摩勒伽の右手には矢が握られている。これが破魔矢の由来となっているという。厄除け、縁結び、開運招福などのご利益があるとされる。
輪王寺のパワースポット・見どころ
夜叉門(やしゃもん)
四体の夜叉が霊廟(れいびょう)を守護する「夜叉門」。重要文化財に指定されています。赤色の「毘陀羅(びだら)」が南、緑色の「阿跋摩羅(あばつまら)」が北、青色の「烏摩勒伽(うまろきゃ)」が東、白色の「犍陀羅(けんだら)」が西を守っているそう。なかでも「烏摩勒伽」は珍しい仏様で、膝に彫られた象が“膝小僧(ひざこぞう)”の語源となったという説があります。
皇嘉門(こうかもん)
奥の院の入り口となる「皇嘉門」も重要文化財です。門の奥に、家光公が眠るお墓所があります。中国・明朝時代の建築様式である“竜宮造り”を取り入れた形から、別名「龍宮門」と呼ばれています。
門を潜るときに見上げると、天井には「天女の画像」が描かれており、門より先が家光公の御霊を奉る聖域であることを象徴しています。
大猷院(たいゆういん)
国宝に指定されている「大猷院」。家光公の廟所(お墓)で、境内には世界遺産にも登録されている22件の国宝や重要文化財が建っており、整然と並んだ315基の灯籠も印象的。
家康公(東照宮)を凌いではならない、という家光公の遺言により、金と黒を基調とした重厚で落ち着いた造りとなっています。
三仏堂(さんぶつどう)
輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。
大護摩堂
【ご本尊】五大明王(ごだいみょうおう・平安中期作)
「七福神」や「十二天」など30躰の仏さまや祖師像がお祀りされています。
天井には、故「吉原北宰」氏(国指定彩色保存選定技術保持者)が、2年半の歳月を費やして完成された「大昇竜」(だいしょうりゅう)が描かれています。
お堂の位置は日光山総本堂「三仏堂」の「裏手」になります。
常行堂
嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって、比叡山延暦寺の『にない堂』に模して建立されました。
純和様の宝形造(ほうぎょうづくり)で、隣の純唐様の法華堂(ほっけどう)との間に、歩廊を設け接続されています。
この形式は大変珍しいもので、現在では比叡山延暦寺と、ここ輪王寺常行堂の二か所のみとなっています。
輪王寺のご利益
厄除け、縁結び、開運招福 など
東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称され、パワースポットとして知られている歴史深い寺院。
輪王寺の御祭神
徳川家光公
御祭神の家光公は、祖父である家康公をいたく尊敬していたようで、家康公の近くに自分を祀ってほしいということで、「日光東照宮」に近いこの地を選んだそう。
Info
参考URL | 日光山 輪王寺 公式ホームページ |
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アクセス | JR日光駅、又は東武日光駅より東武バス中禅寺行5分、神橋、又は西参道より各徒歩5分 |
拝観時間 | 8時~17時(11月~3月は~16時)受付~各30分前 |
拝観料 | |
住所 | 〒321-1494 栃木県日光市山内2300 |
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