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椿大神社
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、三重県鈴鹿市にある神社。
猿田彦大神を主祭神とし、相殿に瓊瓊杵尊・栲幡千千姫命(瓊瓊杵尊の母神)・行満大明神を祀る。別名を猿田彦大本宮といい、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされている。また別宮の椿岸神社では、猿田彦大神の妻神である天之鈿女命を祀る。
社伝によれば、垂仁天皇27年、倭姫命に下った神託により、猿田彦大神の墳墓の近くに「道別大神の社」として社殿が造営されたのを創始とする。
昭和62年(1987年)、アメリカ合衆国カリフォルニア州にアメリカ椿神社を創建し、神道の普及活動を行っている。現在はワシントン州に遷座しアメリカ椿大神社と称している。縁結びや芸事の神社として知られ、芸能人の参拝も多いという。
神社の本殿の右手にある、禊の滝行を行なう滝からの流れを写真に撮ると金運や恋愛運が上がる、と噂になり「かなえ滝」と呼ばれている。みちびきの神さま」と「芸能の神さま」が祀られており、仕事や習い事、将来の夢や目標等に向かって努力して頑張る人を応援してくれるといわれています。
住所 三重県鈴鹿市山本町字御旅1871
伊勢神宮
伊勢神宮は、古くから信仰の厚い由緒正しい神社です。江戸時代に大流行した「お伊勢参り」は現在も引き継がれ、多くの日本人が訪れています。伊勢神宮は「内宮」と「外宮」に分かれており、「皇大神宮(内宮)」のご祭神は天照大御神、「豊受大神宮(外宮)」は豊受大御神が祀られています。お参りの順番は、「外宮」→「内宮」の順番でお参りし、「神様のおそばに」という気持ちで神様に対して失礼のない振る舞いをすることが大切です。
現在も天皇家の所縁も深く、斎宮は天皇家の女性が代々務めてられています。また、20年に一度、式年遷宮と呼ばれる宮の建て替えが行われており、解体された宮は全国の神社の梁や柱として再利用されながら大切にされています。宇治橋をくぐり境内の中に入ると、一気にタイムスリップしたような神秘的な空間に包まれていく不思議な場所です。
内宮を参拝する前にある「おかげ横丁」は「お伊勢参り」で訪れた参拝者をもてなすためにできた場所です。現在も、赤福や伊勢うどん、歴史資料館などが立ち並んでおり、時間があっという間に過ぎていきます。パワースポットしての神秘的な空間だけでなく、江戸時代から続く娯楽の一つを体感することができる日本最高峰の神社です。
家内安全・夫婦円満・産業発展・仕事運アップなど様々な効果があります。
住所 三重県伊勢市宇治館町1
豊受大神宮
豊受大神宮(とようけたいじんぐう、又は、とゆうけたいじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社で、伊勢の神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には外宮(げくう)と呼ばれる。
皇大神宮(内宮)とともに正宮を構成し、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのがしきたりとされる。豊受大御神を主祭神とし、相殿神として御伴神三座を祀る。
伊勢の中心にありながら、境内は平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木「清盛楠」や、初夏には三重県花ハナショウブが咲き乱れる「勾玉池」などの自然が豊富に残される。
境内には多賀宮(たかのみや)、風宮(かぜのみや)、土宮(つちのみや)の3つの別宮(べつぐう、正宮に次ぐ高位の宮)を始め、斎館、神楽殿、神々の食事を調製する忌火屋殿(いみびやでん)、神酒を納めた御酒殿(みさかどの)などの建物があり、外宮の境界を守る四至神(みやのめぐりのかみ)が正宮の前に祀られている。
北御門口鳥居から北西に伸びる道を進むと、伊勢市を含む度会郡の守護神を祀る摂社の度会国御神社、更にその奥に五十鈴川河口を守る末社の大津神社が鎮座する。
正宮は、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるが、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ。正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地がある。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから古殿地とも称する。
パワースポットとして知られるのが三つ石(川原祓所)。川原祓所は伊勢神宮の昔の祓所で、今も遷宮の川原大祓はこの場所で行われている。今では埋まってしまったが、昔は宮川の支流がここを流れていた。石の真上に手をかざすと周囲より温度が温かく感じるという。
外宮正殿前の道から、別宮へ向う水路に架かる石橋は、大きな一枚岩でできており、「亀石」と呼ばれている。高倉山古墳の入口の石だったと伝えられており、パワースポットと言われている。
正宮前の御神木、月夜見宮の御神木も、「パワーツリー」として多くの人が触れるため、つるつるになっている。
多賀宮の参道にある地蔵石(寝地蔵)は、一つだけ飛び出た石がお地蔵さんに見えることから人気スポットになっている。衣食住、産業にご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市豊川町
金剛證寺
金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院である。山号は勝峰山、院号は兜率院と称する。
草創は、欽明天皇の頃、暁台上人によって開かれ、平安時代には弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の大道場として隆盛を極めた。
本尊は虚空蔵菩薩である。御本尊は秘仏で、伊勢神宮のご遷宮の翌年に、二十年に一度のご開帳を厳修する。朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、「朝熊山」と呼ばれる場合がある。
昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥の院ともいわれ、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われた。陽の気が活発化しすぎて感情が不安定になっている時などに訪れると沈静化できるパワースポット。
住所 三重県伊勢市朝熊町岳548
伊賀上野城
上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にあった平山城である。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。
北畠信雄の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いた。その後1585年(天正13年) に筒井定次によって改修を受け、1611年(慶長16年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の役によって、当時高虎が従属する徳川家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。
現在、旧城域一帯が国の史跡に指定されている。城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉翁記念館があるほか、伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として利用され、各種イベントなどが行われている。
長年日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30メートルの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に武庫蔵が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存する。現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。
住所 三重県伊賀市上野丸之内106
なばなの里
なばなの里(なばなのさと)は、三重県桑名市長島町駒江にある公園・リゾート施設。縁結び・夫婦円満・交通安全などのご利益があるとされています。
花をテーマにした施設としては東海地区最大級のお花畑(13000坪)を有し、春はチューリップ、秋はコスモスや超大輪のダリアなどが咲き誇る。
住所 三重県桑名市長島町駒江
宇治橋
宇治橋(うじばし)は、三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)の参道口にある橋。別名御裳濯橋(みもすそばし)。日本百名橋の一つ。
橋の両側に神明鳥居があり、外側(外)の鳥居は、外宮正殿の棟持柱の古材から、内側(内)は内宮正殿の棟持柱の古材から作られる。明治以降、これらの鳥居が建て替えられると外の鳥居は三重県桑名市桑名宿の七里の渡しで、内の鳥居は鈴鹿峠の麓にある三重県亀山市関町関宿の関の東の追分で、それぞれ神宮遙拝用の鳥居に20年間使用されている。
宇治橋は五十鈴川に対してほぼ直角に架けられており、西岸から東岸を見た場合は約30度南を向いている。宇治橋の東側には島路山があり、日の出は島路山からとなる。このため日の出が南よりからとなる冬至を中心とする約2か月の間は宇治橋の鳥居の間からの日の出となるが、永らく誰の気にも止められなかった。1980年代にこれに気付いた参拝客の情報により、神宮の広報誌の『瑞垣』(みずがき)に冬至前後は鳥居の間から日が昇ると紹介されてから有名となり、冬至前の数日から1月初旬の間は鳥居からの日の出を見る人で賑わうようになった。
宇治橋西側(宇治今在家町)に内宮所管社の饗土橋姫神社がある。祭神は宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)で、宇治橋を守護する神社とされる。社殿は内宮に準じ内削ぎの千木と、4本で偶数の鰹木を持つ板葺屋根の神明造で東面し宇治橋を向いている。
宇治橋の欄干に十六基の擬宝珠(ぎぼし)があるが、入り口の大鳥居からみて左側の二つめの擬宝珠だけ色が違い、この擬宝珠の中に宇治橋鎮守神である饗土橋姫神社のお札「萬度麻(まんどぬさ)」が納められいる。この擬宝珠がパワースポットだという。
住所 三重県伊勢市宇治館町
猿田彦神社
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮の近くにある神社である。猿田彦大神と、その子孫の大田命を祭神とする。
日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。
猿田彦神がニニギの先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。
境内には、天降りの際に猿田彦神と応対した天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されている。佐瑠女神社は小さな社だが、近年芸能のパワースポットとして注目されている。
また、宝船の上にヘビがとぐろを巻いているような「たから石」もパワースポットとして人気。建築・方位除け・災難除け・開運・事業発展・五穀豊穣・大漁満足などのご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
いちべ神社
いちべ神社は三重県鳥羽市にある神社。
地元の漁師が海で遭難した時、龍が海上より立ち上がり、漁師の生命を助け、この石に舞い降りたという伝説により、文政11年(1828年)に建立された。地元の人たちに、永く、万人を救う神秘的な、パワースポットとして崇拝されている。
近年、パワースポットとしてプロ野球監督やスポーツ選手、選挙、芸能人、韓流スターなど多く有名人がここ一番の「勝負どころ」に訪れている。
御神体の聖石に抱きつき全身でご利益を得る参拝者も多いことから、「抱きつき聖石」とも呼ばれている。ホテルマリテーム海幸園内に位置する。 仕事、恋愛、スポーツなどの必勝祈願にご利益があるとされています。
住所 三重県鳥羽市安楽島町1075-113
伊射波神社
伊射波神社(いざわじんじゃ)は三重県鳥羽市安楽島町の加布良古崎にある神社。志摩国の一の宮と伝わる。志摩大明神、加布良古大明神、かぶらこさん等と呼ばれ崇敬されている。鎮座は不明。創建から1500年以上といわれている。
御崎の先には別に領有神(うしはくがみ)が祭られている。玉柱屋姫命と伊射波登美命、雅日女尊、狭依姫命の四柱を祭り、縁結びの神として知られる。良縁にご利益があるとされています。
住所 三重県鳥羽市安楽島町加布良古1210
昇龍の松
昇龍の松は、三重県鳥羽市相差町の相差海女文化資料館の前庭にある黒松。「相差の石神さん」で知られる神明神社のすぐ近くに位置する。
幹囲約3メートルの巨木で、その樹の形が天に昇る龍の姿に似ていることから、昇龍の松(開運の松)と言われ、その幹に手を当てて願いをすると叶うと言われている。厄よけのほか、とくに男女の縁結びにご利益があるとされています。
住所 三重県鳥羽市相差町
おうむ岩
おうむ岩(鸚鵡岩)は三重県志摩市にある奇岩である。伊勢志摩国立公園に属する。
幅127m、高さ31mの一枚岩で、「語り場」で声を発したり、備え付けの拍子木を打つと、約50m離れた「聞き場」にいる人にはあたかも岩から音が発されているように聞こえる。
地質学的には秩父層群のチャートでできている。また、岩のある和合山の南には仏像構造線が通っていると推定されている。
岩の北には「広の谷」と呼ばれる場所があり、サンゴや層孔虫、二枚貝といった中生代ジュラ紀の化石が発見されている。開運のご利益があるとされています。
住所 三重県志摩市磯部町恵利原
二見興玉神社
二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である。猿田彦大神と宇迦御魂大神を御祭神とする。
猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神のお使いはカエルとされており、神社参拝の後に御神徳を受けた人々が、神社の境内にカエルの塑像を献納する。このため、境内には無数のカエルの石像が並んでいる。この神社の御守(授与品)もまた「無事カエル」「貸した物がカエル」「お金がカエル」と呼ばれるカエルをモチーフにした物である。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。
夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と御神体である興玉神石(おきたましんせき)を拝むための鳥居の役目を果たしている。古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、いつの頃からか、夫婦岩と呼ばれるようになった。夏至の前後約4ヶ月間は、夫婦岩の間から御来光が拝めることで有名。特に夏至の前後2週間ほどは、方位角約61度距離およそ200kmの彼方にある富士山山頂付近からの御来光となる。また、冬至の頃には夫婦岩の間より昇る月を見ることもできる。
5月末に御神体・興玉神石に生える藻(あまも)を刈る「藻刈神事(もかりしんじ)」が行われる。興玉神石より刈り取られた藻は、猿田彦大神ゆかりの霊草とされ、天日に干して「お祓いの具」となる。毎年6月21日に、夏至祭が執り行われる。
境内社として綿津見大神を祀る龍宮社があり、旧暦5月15日に龍宮社例祭に併せて郷中施(ごじゅうせ)神事が行われる。また、氏子地江の外れに大若子命をお祀りする栄野神社があり、毎年1月14日の例祭日には湯立神事が行われる。御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市二見町大字江575
射山神社
射山神社は三重県津市の神社。榊原温泉の中心部にある。毎年2月11日に『湯立神事(御湯)』が行わる。
もとは貝石山の八合目に祀られていたが、今の地にうつされた。祭神は温泉大明神とよばれる大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。
住所 三重県津市榊原町5073
田丸神社
田丸神社は、三重県度会郡の神社。元は天神社がこの地にあり、明治14年(1882)の神社合併令で十一社十九祭神を合祀した神社。境内の石灯篭や鳥居などは、様々な場所から持ち寄られたもの。毎年受験シーズンを迎えると学問の神様・菅原道真公を祀る、田丸神社は、受験生や家族が訪れ、合格を祈願をし、絵馬を飾る姿で賑わう。学業成就・病気平癒のご利益があるとされています。
住所 三重県度会郡玉城町下田辺1042
横山石神神社
横山石神神社は、三重県志摩市の神社。天永龍王を祀る。「一生の内に一事は必ずかなえて下さる石神さん」と言われ、御木本幸吉翁も真珠養殖成功への願かけをしたとされる。金運アップにご利益があるとされています。
住所 三重県志摩市阿児町鵜方874-4
赤目四十八滝
赤目四十八滝(あかめしじゅうはちたき)は、三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷にある、一連の滝の総称である。また、谷は赤目四十八滝渓谷(あかめしじゅうはちたき けいこく)と称される。
古より山岳信仰の聖地であり、地元には「滝参り」という呼び方が今も残る。奈良時代には修験道の開祖である役行者(役小角)の修行場ともなった。
地名「赤目」の由来は、役行者が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出会ったとの言い伝えにあるとされる。また、役行者および修験道と関連するが、忍者の修行場であったとも伝えられている。
赤目四十八滝のうち比較的大きな不動滝(ふどうだき、ふどうたき)、千手滝(せんじゅだき、せんじゅたき)、布曳滝(ぬのびきだき、ぬのびきたき、ぬのびきのたき)、荷担滝(にないだき、にないたき、にないのたき)、琵琶滝(びわだき、びわたき)の5つの滝を、赤目五瀑(あかめ ごばく)と言う。このうち不動滝への参拝を「滝参り」という。学業成就のご利益があるとされています。
住所 三重県名張市青蓮寺
大馬神社
大馬神社(おおまじんじゃ)は、三重県熊野市の神社。熊野国総鎮守。
恒武天皇(737~806)の頃、坂上田村麻呂(758~811)がこの地方を荒らす賊を討ち、賊の頭の首を地中に埋め、その上に社殿を建てたのが始まりといわれる。この賊は多娥丸(たがまる)と良い、鬼ケ城に隠れ住み、熊野の海を荒らしまわり、鬼と恐れられていた。
その後、智興和尚がこの話を伝え聞い参詣しようとしたところ、田村麻呂の霊が現れ案内した。霊は大きな馬に乗っていたことから大馬神社と呼ばれるようになったという。社殿脇に一枚岩から流れ落ちる大馬清滝がある。
大馬神社には狛犬がなく、井戸川下流の海岸にある獅子岩が阿の狛犬、獅子岩の南に位置する神仙洞の人面岩が吽の狛犬に見立てられている。
住所 三重県熊野市井戸町3444
頭之宮四方神社
頭之宮四方神社(こうべのみやよもうじんじゃ)は三重県度会郡大紀町の神社。頭に関する諸祈願に霊験あらたかな頭之守護神・知恵の大神。学問の神様と言われ、別名「あたまの宮さん」と言われる。学業や頭の病気などにご利益があるとされています。
住所 三重県度会郡大紀町大内山3314-2
水屋神社
水屋神社は、三重県松阪市の神社。また、フランス・ブルゴーニュに分祀社を有する。学問や縁結び、商売 繁盛、国土安全、
春日大社の安在所として天児屋根命を奉斎したことに始まる。その後、大化4(648)年、奈良の三笠山から素盞鳴命、龍神姫命を勧請し、和銅3(710)年、興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長5年(1600)関ヶ原合戦以降伊勢領となる。
水屋神社の大楠は、地元では「大クスさん」と呼ばれる巨木で、樹高約35m、幹周り約12m。倭姫命が伊勢巡幸の際、作滝村の滝野神社に泊まられ、自分の姿をお写しになり化粧をされたという「姿見の池」がある。地元では「お馬さんの池」として親しまれている。
住所 三重県松阪市飯高町赤桶2507
御在所岳
御在所岳(ございしょだけ)は、三重県三重郡菰野町と滋賀県東近江市の境にある標高1,212mの山で、御在所山とも呼ばれる。鈴鹿国定公園の中に位置し、日本二百名山、関西百名山及び鈴鹿セブンマウンテンに選定されている。
鈴鹿山脈は断層山脈である。このため三重県側から見た山脈の構造と滋賀県側から見た山の構造が著しく異なる。三重県側は切り立っており、そのため山稜の形もよく、各山からの眺望に優れている。
御在所岳は花崗岩質が多く、太古に堆積した花崗岩が侵食により山肌に現れ、いろいろな形の巨岩・奇岩が見られるのが特徴である。中道登山道には「負ばれ岩」と「地蔵岩」、山頂付近には「大黒岩」、国見尾根には「天狗岩」と「ゆるぎ岩」がある。とりわけ二つの岩の上にもう一つ岩の乗っている地蔵岩は、パワースポットとされている。
山上公園の西端には、御在所岳の最高地点の花崗岩の巨石が積み重なった「望湖台」と呼ばれる展望地があり、琵琶湖や鈴鹿山脈の山々を望むことができる。望湖台の南には、小さな神社の祠とサンショウウオが生息する小さな長者池がある。この長者池もパワースポットだという。学業成就・合格祈願にご利益があるとされています。
住所 三重県三重郡菰野町菰野
天の岩戸
天の岩戸(恵利原の水穴)は、三重県志摩市磯部町の逢坂山中腹にある洞窟。天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男尊(すさのうのみこと)の悪事を戒める為、岩戸の中に隠れたという伝説にちなんだ洞穴。
天の岩戸から流れ出る清水が滝となった禊滝(みそぎたき)、手力男命(たぢからおのみこと)の手形石もある。湧水は志摩用水の源泉にもなっている。水神様が祀られており雨乞いのご利益もあるとされています。
住所 三重県志摩市磯部町恵利原2
神内神社
神内神社は、三重県南牟婁郡紀宝町の神社。社殿はなく、岩壁をご神体とする。かつての熊野の自然崇拝の有り様を現在に伝えている神社のひとつである。縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益があるとされています。
「ごとひき岩」と呼ばれる巨岩が厳かな雰囲気を漂わせ、別名「子安神社」と呼ばれ、安産の神様としても有名。
江戸時代前期の義人として知られる佐倉宗吾を祀る佐倉宗吾宮がある。佐倉宗吾は、佐倉藩領公津村の名主で、藩主堀田氏による苛政に苦しむ百姓のために1653年(承応2年)上野寛永寺に参詣する将軍徳川家綱に直訴した。その結果、藩主の苛政は収められたが、佐倉宗吾夫妻は磔となり、男子も死罪となったという。
住所 三重県南牟婁郡紀宝町神内
北畠神社
北畠神社(きたばたけじんじゃ)は、三重県津市美杉町上多気にある神社。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とする。建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持つ。国家鎮護にご利益があるとされています。
由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20年(1643年)3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀という。ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間に下るとの説もある。やがて八幡三神に倣い、北畠親房・顕家を合祀する。1881年(明治14年)11月村社北畠神社に改称。1907年(同40年)12月多芸村内の16社を合祀し、1916年(大正5年)宝庫・社務所などを整備。1928年(昭和3年)10月社殿を新造して主神を遷座し、11月10日別格官幣社に昇格した。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にあったが、天保11年(1840年)春に火災に遭い、再興しないまま1898年(明治31年)廃絶した。
住所 三重県津市美杉村上多気1148番
花窟神社
花窟神社(はなのいわやじんじゃ)は三重県熊野市有馬町に所在する神社。伊弉冊尊と軻遇突智尊を祀る。縁結びのご利益があるとされています。
今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した巨岩が御神体であり、和歌山県新宮市の神倉神社とともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。
2004年、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録された。
住所 三重県熊野市磯部町上之郷374
多度大社
多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は国幣大社。
天津彦根命(天照大神の第3子)を主祭神とする。天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。また俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われた。境内には天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称される。
「北伊勢大神宮」とも呼ばれる。武者姿の少年が騎乗した馬が一気に駆け上る「上げ馬神事」でも知られる。女性特有の病にご利益があり、穴の開いた石をお供えするとよいという。婦人科の病に対してや心身共に美しくなれると言うご利益があるとされています。
住所 三重県桑名市多度町多度1681
専修寺
専修寺は、三重県津市一身田町の寺院。
1469~1487年に真慧(しんね)が伊勢国の中心寺院として建立した。当時この寺は「無量寿院」と呼ばれており、文明10年(1478年)には真慧は朝廷の尊崇を得て、「この寺を皇室の御祈願所にする」との後土御門天皇綸旨(専修寺文書第29号)を得ることに成功した。高田の本寺が戦国時代に兵火によって炎上したことや教団の内部事情から、歴代上人がここへ居住するようになり、しだいにここが「本山専修寺」として定着した。
数多い親鸞聖人の真筆類もここへ移され、親鸞の肖像をはじめ、直弟子などの書写聖教など貴重な収蔵品を多数保持している。阿弥陀如来立像を本尊とする。
本山専修寺の伽藍は二度の火災に遭ったが再建されている。浄土真宗最大宗派の東西本願寺に匹敵する広大な境内を持ち、周囲は寺内町を形成している。その集落は現在もはっきり見分けることができる。地元では「高田本山」と呼ばれている。
住所 三重県津市一身田町2819
美多羅志神社
美多羅志神社(みたらしじんじゃ)は、三重県鳥羽市答志町にある神社。
美多羅志神は五男三女の子をもつ神様で、子授けのご利益があるとされている。夫婦で参拝してつがいのアワビを奉納すると、美しい瞳の子供が授かるという。
創立年代は未詳。江戸時代の『三国地誌』に「八王子祠」と見え、『志楊畧志』に「八皇子社答志村に在り」とある。明治時代以前は、神仏習合で隣の潮音寺の境内に祀られていた。
境内には「龍の顔」に似た椎の木があり、高さ約15メートル、根元の幹回り約2メートル。平成二十年の六月の例大祭の日に椎の木の折れ曲がり具合が、「龍の顔」にそっくりなのを氏子さんが発見したという。
社名の「美多羅志」は、神功皇后の本名「オキナガタラシヒメ」の「タラシ」一族と関係があり、『日本書紀』に新羅伐採のとき答志の神の援助があったことが記載されている。
海の神である龍神を深く信仰していた神功皇后にゆかりがある神社の由縁により出現したと思われており「龍神さん」の幟が上がっている。美多羅志神は五男三女の子をもつ神様で、子授けのご利益があるとされています。
住所 三重県鳥羽市答志町984
松尾観音寺
松尾観音寺は、三重県伊勢市の寺院。奈良時代の高僧行基による開基と伝わる古刹で、既成宗派に属さず檀家ももたない祈願寺。山号は龍池山。縁結びのご利益があるとされています。
応永十年(1403年)旧暦の5月4日に本堂が火災で燃えた時、本堂裏の二つ池から2体の竜が現れ、雄竜が炎の中に飛び込み十一面観世音菩薩を体で巻き付けて救い、雌竜が何度も池の水を吹きかけ消火した、という伝説をがある。
近年、張り替えた本堂床板に「竜」が現れ、パワースポットとして話題になっている。幅10センチのケヤキ板2枚にまたがり、木の節が目と鼻、うろこに見える。「なでると幸せになれる」と言われている。
本尊の十一面観音は日本最古の厄除観音として篤い信仰を集める。3月の初午大祭が有名。
住所 三重県伊勢市楠部町156-6
尾鷲神社
尾鷲神社は、三重県尾鷲市の神社。素戔嗚尊を祀る。尾鷲神社の大楠で知られる。
二本の楠がおよそ5mの間隔をあけて立っており、互いの枝が重なり合い一つの樹冠を形成している。南側の大きな樹が樹高18m、目通り幹周10.2m、北側が樹高24m、幹周り9.5m。樹齢1000年と推定されている。また、本殿後方の小山には幹周り9.0mの第三の大楠が聳えているが、立ち入る事はできない。
尾鷲神社の本殿は、元はこの楠の西側にあったが、宝永の大地震(1707年)による大津波で流失し、その後現在地に再建された。社宝の獅子頭は、毎年2月1~5日に行われるヤーヤ祭りで公開される。
住所 三重県尾鷲市北浦町12-5
神明神社
縁結びの神様で有名な神明神社です。この神社には「女性の願いならはならずひとつは叶えてくれる」と言い伝えがある「石神社」があります。開運の松と呼ばれる昇龍松があります。地元の人から親しまれている穴場のようなパワースポットでしたが、今では女性だけでなく男性も訪れるパワースポットとなりました。恋愛や結婚の縁結びの運気アップとして、「石神さんお守り(お札入)」と「石神さんお守りストラップ(本真珠付)」が有名です。
住所 三重県鳥羽市相差町1385
川原祓所
川原祓所(かわらのはらいしょ)は、伊勢神宮の昔の祓所で、今も遷宮の川原大祓はこの場所で行われる。
伊勢神宮の正宮と御池の間の三つの石が注連縄に囲まれている場所で、「三つ石」とも呼ばれる。今では埋まってしまったが、昔は宮川の支流がここを流れていた。その名残でいまでも聖地とされている。
石の真上に手をかざすと周囲より温度が温かく感じるほどの気が出ているといわれる。伊勢神宮の中でも最も有名なパワースポット。
住所 三重県伊勢市豊川町
神明神社
神明神社は、三重県鳥羽市の神社。御祭神は神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)。1888年から天照大神の主祭神として祀られている。
参道の途中に地元の人から「石神さん」と親しまれている女神さまの小さな社がある。この社は、地元の海女さんが無事を祈願したことから、女性の願いなら必ず一つは叶えてくれる神様と言われる。全国各地から良縁祈願の参拝者が後を絶たない。
神明神社の御守りは、海女さんが祈願したことに由来する『ドウマンセイマン(ドーマンセーマン)』というおまじないを示す二つのしるしが描かれており、平安時代の陰陽師・安倍清明公が祀られている京都の晴明神社の御印でもある。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などにご利益があるとされています。
住所 三重県鳥羽市相差町1237
瀧原宮
瀧原宮(たきはらのみや)は、三重県度会郡大紀町滝原にある神社である。略字を用いて「滝原宮」と表記されることがある。瀧原宮は皇大神宮内宮別宮。
宮域には瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の2つの別宮のほか、瀧原宮所管社が3社がある。所管社の若宮(わかみや)神社には神体を入れる御船代を納める御船倉(みふなぐら)が併設されているが、御船倉を持つ別宮は瀧原宮のみである。
境内に若宮神社(わかみやじんじゃ)、長由介神社(ながゆけじんじゃ)、川島神社(かわしまじんじゃ、長由介神社同座)がある。
住所 三重県度会郡大紀町滝原872
荒祭宮
荒祭宮(あらまつりのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である。御祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。
内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める下幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段には4つに割れ「天」の字のように見える石がある。この石は踏まぬ石と呼ばれ、避けて通らなければならないとされる。踏まぬ石は天から降って来たと伝えられるが定かではない。
荒祭宮に参拝できない場合のため、籾種石の近くに石畳の荒祭宮遥拝所が設けられている。夫婦円満、縁結びなどのご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市宇治館町
伊雑宮
伊雑宮(いざわのみや)は、三重県志摩市磯部町上之郷にある神社である。「いぞうぐう」と呼ばれることも多く、ほかに「磯部の宮」、「磯部の大神宮さん」と呼ばれることもある。志摩国の一宮でもある。 実際は「伊雜宮」が正式であるが「雜」を簡略化して「雑」と用いられることが多い。祭神は天照坐皇大御神御魂。三重県度会郡大紀町にある瀧原宮と伊雑宮は、内宮から遠く離れた場所で天照大神の魂を祀ることから、「天照大神の遙宮」(とおのみや)と呼ばれる。
本来の伊勢神宮は伊雑宮とも言われ、伊勢神宮の原生のエネルギーに満ちている。巾着楠は大地のパワースポットと言われている。五穀豊穣のご利益があるとされています。
住所 三重県志摩市磯部町上之郷
月夜見宮
月夜見宮(つきよみのみや)は外宮(豊受大神宮)別宮で、三重県伊勢市宮後1丁目にある神社である。
神宮の別宮は基本的に1の社殿につき祭神は1神であるが、月夜見宮は月夜見尊(つきよみのみこと)と、その魂の月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)の2神を祀る。1の社殿に2神を祀る別宮は他に外宮別宮の風宮(かぜのみや)と内宮別宮の風日祈宮(かぜひのみのみや)があり、いずれも祭神は級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)である。
「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる内宮(皇大神宮)別宮の月讀宮は、祭神は同じであるが別の神社である。
外宮の裏参道と月夜見宮とを結ぶ神路通と呼ばれる道は神の通う路と言われている。外宮の別宮である月夜見の宮の神様(月夜見尊)が、外宮の神様(豊受大神)のもとへ通われるという。
向かって右の御神木の楠がパワースポットと言われている。社殿の右手奥に高河原神社が鎮座し、左には落雷は折れた木に支え技が施され足元には小さな狛犬がいる。おおらかさ、やさしさ、静けさといった氣がある
住所 三重県伊勢市宮後1丁目
二見ヶ浦
二見浦(ふたみがうら)は、三重県伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸。立石崎から神前岬までの海岸(神前海岸)もその一部とされることがある。
夏至の時期に富士山の背後に二つの岩の間から昇る日の出が有名。「ダイヤモンド富士」の愛称で親しまれる。夫婦岩と呼ばれる大きな岩が二つ並びしめ縄がかけられ、鳥居が設けられている。御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市二見町
月讀宮
月讀宮(つきよみのみや)は内宮(皇大神宮)別宮で、三重県伊勢市中村町にある神社である。「月読宮」と略字表記される場合がある。外宮(豊受大神宮)から約3.8km、内宮から約1.8kmの五十鈴川中流域の中村町に位置する。
祭神は月讀尊(つきよみのみこと)。「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされている。
境内社に葭原神社(あしはらじんじゃ)があり、内宮の末社格となっている。御祭神は佐佐津比古命(ささつひこのみこと)、宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)、伊加利比売命(いかりひめのみこと)で、いずれも田畑を守護する五穀の神。
樹齢800年の楠が月読宮のパワースポットと言われている。両手の手のひらをいっぱいに広げて触れると、楠の幹を通る地脈からのパワーを感じられるという。縁結びや夫婦円満、子宝などのご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市中村町742-1
多賀宮
多賀宮(たかのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である。山頂にあるので高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。
住所 三重県伊勢市宮後1丁目3-1006
風日祈宮
風日祈宮(かざひのみのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である。祭神は外宮(豊受大神宮)別宮の風宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命で、内宮神楽殿前から南方へ向かう参道にある風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)で五十鈴川支流の島路川を渡った先に風日祈宮がある。
風日祈宮御橋は長さ45.6m、幅4.6mで、内宮前の宇治橋を小さくしたような橋である。最初にかけられたのは室町時代の1498年(明応7年)で、南端の擬宝珠(ぎぼし)に「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」と刻まれている。古くはこの橋がかかる川が五十鈴川本流とされており、この橋を五十鈴川橋と呼んだ。もっとも長い川が河川の本流と定義され、島路川と呼ばれてからは風日祈宮橋と呼ぶのが一般的となった。
別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。内宮の別宮は風日祈宮のほか境内に荒祭宮(あらまつりのみや)1宮、境外に月讀宮(つきよみのみや)、瀧原宮(たきはらのみや)、伊雑宮(いざわのみや)、倭姫宮(やまとひめのみや)ほか4宮があるが、風宮が別宮となったのは1293年(正応6年)で、1923年(大正12年)創建の倭姫宮の次に新しく、順位は内宮別宮10社中9位とされる。古くは現在の末社格の風神社であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。安産や厄除けのご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市宇治館町1
倭姫宮
倭姫宮は、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の別宮である。祭神は、日本神話で第11代垂仁天皇の第四皇女と伝えられる倭姫命である。
内宮と外宮と合わせ別宮は荒祭宮、多賀宮、月讀宮、土宮、月夜見宮、瀧原宮、伊雑宮、風日祈宮、風宮など14宮あるが、そのうち創建が明確であるのは倭姫宮1宮のみで、1923年(大正12年)11月5日ともっとも新しい。悩み解決にご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市楠部町
風宮
風宮は、三重県伊勢市豊川町の檜尾山(ひのきおやま)の麓に位置する外宮(豊受大神宮)の境内別宮である。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などのご利益があるとされています。
祭神は内宮(皇大神宮)別宮の風日祈宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命で、外宮正宮前の池の横の多賀宮への参道にある亀石を渡った左側に風宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。
住所 三重県伊勢市宇治館町1
獅子岩
獅子岩(ししいわ)は三重県熊野市井戸町、国道42号七里御浜沿いに存在する獅子の形をした岩。高さ約25m、周囲約210m。
1958年(昭和33年)、熊野の鬼ケ城に獅子巌が追加指定され、名勝および天然記念物「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」(くまののおにがじょう つけたり ししいわ)となった。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。獅子岩の南に位置する神仙洞の人面岩とともに熊野国総鎮守大馬神社の狛犬に見立てられている。
住所 三重県熊野市井戸町
子安神社
子安神社(こやすじんじゃ)は、伊勢神宮内宮の所管社の一つ。子授かり、安産、縁結び、厄除けにご利益があるとされています。
木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る。もとは宇治館町の産土神であったともいわれ、安産や厄除けの神として今も地元の人たちに広く信仰されている。
住所 三重県伊勢市宇治館町1
伊佐奈岐宮
伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)は伊勢神宮内宮別宮。祭神は天照大御神の御父神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。向かって左から2番目のお宮で、月読荒御魂宮に続いて参拝する。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市中村町742-1
布引の滝
布引の滝(ぬのびきのたき)は神戸市中央区を流れる布引渓流(名水百選)にある4つの滝の総称。日本三大神滝のひとつ。布引滝とも表記する。名瀑として知られる古来からの景勝地である。
またかつて役小角が開いた滝勝寺の修験道行場として下界とは一線を画する地であったが、現在は渓流沿いおよび布引山(森林浴の森100選)一帯から滝を経て布引ハーブ園へと至る遊歩道が整備され、鉄道駅からも気軽に立ち寄ることができるようになっている。
住所 三重県熊野市紀和町大河内
土宮
土宮(つちのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である。檜尾山(ひのきおやま)の麓にある。 縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などにご利益があるとされています。
外宮の別宮は土宮のほか、境内に多賀宮(たかのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)がある。土宮は多賀宮に次ぎ古く、多賀宮・月夜見宮に次ぎ3位である。
正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。御祭神は外宮所在地の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)とされる。
住所 三重県伊勢市豊川町
滝祭神
滝祭神(たきまつりのかみ)は、皇大神宮所管社。内宮のなかでもここだけは社殿がない古来の神殿姿をとどめている。
祭神は五十鈴川の水の神である弥都波能売神(みづはのめのかみ)。約1000年程前より、社殿のない石神として祀られ、ここ滝祭神は別宮に準じて祭典も行われている。五十鈴川の水の神であり、位置付けは、皇大神宮所管社である。縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市宇治館町
青蓮寺
青蓮寺(しょうれんじ、Syouren-ji)は、三重県名張市にある真言宗醍醐派の寺院。正式名は、「多宝山地蔵院青蓮寺(たほうざんじぞういんしょうれんじ)」である。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などのご利益があるとされています。
今から約1200年前、真言宗の開祖である弘法大師空海が近隣の室生寺から現在の青蓮寺地区入り教えを広め、その後、地域住民が力を合わせて寺を作り上げたのが起源とされている。
第二次世界大戦(太平洋戦争)中の1945年(昭和20年)6月5日に、神戸を空襲したアメリカの爆撃機B29が日本軍の戦闘機の攻撃を受け、同地区に墜落し、搭乗員11名が死亡した事件があった(2名が戦闘機の攻撃による死亡、9名が脱出後に日本兵に捕まり処刑された)。その事件後、前住職である一弘大僧正は、境内に落ちていたB29の破片を拾い集め、本堂でひっそりと供養を続けていた。2005年(平成17年)8月の終戦60年を期に、現住職の意向によりこの悲劇的な出来事を広く後世に伝えるために現場に追悼碑の建立を行った。また周辺地域の36名の戦死者(慰霊碑と戦死者写真は同寺の本堂の掲げられている)と共にB29搭乗員、当時の敵味方の隔たりなく慰霊祭を開催している。
住所 三重県名張市青蓮寺327
国津神社
国津神社は、三重県名張市の神社。杉と桧の幹が融合していて、杉桧縁結之神と言われる。長寿や厄よけにご利益があるとされています。
住所 三重県名張市青蓮寺
宇治神社
宇治神社は、三重県伊勢市の神社。伊勢神宮のすぐ近くに位置する。
昔、伊勢参りに訪れた旅人が「帰りも無事に歩けますように」とお願いしたことにちなみ、「足神さん」と呼ばれる。境内には「撫石(なでいし)」があり、石と悪い足を交互に撫でて祈願すると、足が癒えるといわれている。
住所 三重県伊勢市宇治今在家町172
鎧崎
鎧崎は三重県鳥羽市鳥羽市にある太平洋に突出した岬。海女の活躍の場。倭姫命が天照大神の鎮座の地を求めて立ち寄り、この岬で鎧をはずしたことから「鎧崎」と命名されたと言われている。
神宮へ奉納する熨斗あわびを作る伊勢神宮調進所がある。7月の御潜神事では実演を見ることができる。
国崎は伊勢神宮の贄所として、毎年6月・10月・12月の3回に分けて供進される。2千年近く続けられて来た神事である。この熨斗アワビが御師によって全国に配布され、縁起物として祝儀に必ず使われるようになった。市の無形民俗文化財に指定されている。
倭姫の命(やまとひめのみこと)が国崎を訪れた祭に『おべん』と言う海女から鰒を差し出された。そのあまりの美味しさに感動し、それ以来、伊勢神宮に献上するように命じられたのが始まりとされている。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 三重県鳥羽市国崎町
北桑名神社
北桑名神社は三重県桑名市にある神社。持統天皇旧跡の碑ある。
かつては桑名市宝殿町に鎮座していたが、明治41年太一丸鎮座の太一丸神明社と共に合併し、同年11月21日「北桑名総社北桑名神社」と社名を改称して現在に至つている。もとは三崎に鎭座する三崎神明社と称していた。厄除け、開運、縁結び、商売繁盛などにご利益があるとされています。
住所 三重県桑名市堤原72-1
桑名宗社
桑名宗社(くわなそうじゃ)は、三重県桑名市本町にある神社である。桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社から成り、桑名の総鎮守社として篤く崇敬されている。正式名称の桑名宗社より、「春日神社」、「春日さん」の通称がより多く用いられ、親しまれている。また、7月末の石採御神事は天下の奇祭としても有名である。安産にご利益があるとされています。
住所 三重県桑名市本町46
聖宝寺
聖宝寺(しょうほうじ)は、三重県いなべ市藤原町にある臨済宗寺院。807(大同2年)年、伝導大師・最澄によって天台宗の寺として開基された。当時は一堂寺と呼ばれていた。本尊は千手観音。
1508(天正8)年、織田信長の北伊勢侵攻にあたり、織田家家臣・滝川一益(たきがわかずます)によって焼き討ちされ焼失。その後は荒れ放題のままであったが、江戸時代初期の1659(万治2)年に臨済宗の寺として再興された。縁結びにご利益があるとされています。
住所 三重県いなべ市藤原町坂本981
加佐登神社
加佐登神社(かさどじんじゃ)は三重県鈴鹿市にある神社。
日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀る。
延喜式神名帳にある、伊勢国鈴鹿郡の倭文神社(しとりじんじゃ)を合祀したと伝えられる。 紫ツツジの名所としても知られている。
住所 三重県鈴鹿市加佐登町2010
朝熊山
朝熊山(あさまやま)は、三重県伊勢市・鳥羽市にある山。正式名称は朝熊ヶ岳(あさまがたけ)。『三国地誌』では「岳(たけ)」とも記され、伊勢市近辺で「岳」は朝熊山を意味する。南方に連なる「朝熊山地」を含めて「朝熊山」とする場合があり、この場合には志摩市まで跨がることになる。山頂付近は初日の出の名所で、伊勢志摩を代表する霊山として知られる。
古くから山岳信仰の対象となり、825年(天長2年)に空海が真言密教道場として南峯東腹に金剛證寺を建立したと伝えられている。1392年(明徳3年)に鎌倉建長寺5世の東岳文昱(とうがくぶんいく)が金剛證寺の再興に尽力したため、真言宗から臨済宗に改宗した。
室町時代には神仏習合から伊勢神宮の鬼門にあたる丑寅(北東)に位置する金剛證寺が伊勢信仰と結びつき、入山者が増えることになる。朝熊山付近では江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する岳参り(たけまいり)という風習がある。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市朝熊町
香良洲神社
香良洲神社(からすじんじゃ)は、三重県津市香良洲町にある神社。香良洲町の町名の由来となった神社である。
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の祭神・天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命)を祀る。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」と言われ、年中参拝者が絶えなかったという。
香良洲神社では、カラスを描いた扇子を祭礼の時に販売し、参拝者が絶えなかった江戸時代には多くの者が買い求めた。「香良洲」の名の由来として、「カラスの住まう地であったことから」または「香良洲神社でカラスの扇を売っていたことから」という説もあり、香良洲神社とカラスは縁がある。
香良洲神社の「烏扇」には、次のような伝説がある。相殿神の大歳神の子が香良洲の地を訪れた時、地主神が田人(農民)に牛肉を食べさせているのを目撃して怒り、田へイナゴを放った。イナゴはイネを食い荒らし、困った地主神が大歳神に伺いを立てると、「麻枝をもってかせ(挊)を作り、そのかせを使って苗代の苗を払い、葉で掃き、天押草(あめのおしぐさ)を押し付け、烏扇であおぎ飛ばすように」と言われたため、その通りにすると、イナゴ被害は収まった。この伝説は『古語拾遺』にあるものと同様である。7月15日に夜がらす祭、8月15日から8月16日には宮踊りが催される。
住所 三重県津市香良洲町3675-1
斎王の森史跡公園
斎王の森史跡公園は、三重県多気郡明和町にある斎宮跡の史跡公園。東西2,000m、南北700m、面積約140haにも及ぶ全国屈指の大規模遺跡で、昭和54年から継続的に発掘調査が進められている。斎王(さいおう、いつきのみこ)とは、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)のこと。厳密には内親王なら「斎内親王」、女王の場合は「斎王」「斎女王」と称したが、一般に両者をまとめて斎王と呼ぶ。斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、天皇に代わって伊勢神宮に仕える斎王が勤める斎宮寮(さいくうりょう)という役所であった。
住所 三重県多気郡明和町斎宮
敢国神社
敢国神社(あえくにじんじゃ)は、三重県伊賀市一之宮にある神社。古来より伊賀国一の宮として崇敬されている。厄祓、安産祈願、家内安全、身体健康などにご利益があるとされています。
創建年代は不詳だが、貞観年間(859年~877年)に神階五位を授けられた記録がある。もともとは敢國神社(あへくにじんじゃ)といい、大和時代に勢力を張っていた阿閉臣(あへのおみ)が先祖を祭ったのが鎮座の始まりといわれている。
住所 三重県伊賀市一之宮877
白河稲荷
白河稲荷は、三重県松阪市久米町の神社。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 三重県松阪市久米町
結城神社
結城神社(ゆうきじんじゃ)は、三重県津市にある神社。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 三重県津市藤方2341
一心寺
一心寺は三重県四日市市の真言宗寺院。子宝、安産、子育てにご利益があるとされています。
住所 三重県四日市市笹川1丁目156
欣浄寺
欣浄寺(ごんじょうじ)は 三重県伊勢市一之木にある、浄土宗の寺院である。法然の25札所第12番。芸の上達や縁結びにご利益があるとされています。
法然43歳にして、伊勢神宮に参詣する。その時日輪の中に、黄金の阿弥陀の名号が現れ、まばゆいばかりの光明をはなったという。開山当寺は一之木にあったが大火で越坂に移転、明治の廃仏毀釈で廃寺となる。明治15年(1882年)に倭町に再建され、大正6年(1917年)に現在地に改築移転した。
法然の作と伝えられる法然上人満月の像は、大阪の専念寺にあったが、天正19年に専念寺の頂誉が、伊勢の欣浄寺へ、像を送るべしとの夢のお告げを受けた。そこで頂誉は弟子の西運に命じて、像を欣浄寺へ送り届けさせた。
住所 三重県伊勢市一之木2丁目67
桜木地蔵
桜木地蔵は三重県伊勢市桜木町にある地蔵尊。
桜の大樹の元に鎮座されていた事から桜木地蔵と名付けられたと言われている。江戸時代には了運尼禅宣上人がここに小庵を建立し、御本尊をお祀りしていたと伝えられる。山田奉行を勤めた大岡越前守忠相もこの地蔵を訪れ江戸町奉行に出世したという伝えから、出世地蔵とも呼ばれている。近年は、武蔵川部屋の力士が毎年訪れることでも知られている。武蔵丸は幕下のころから毎年参拝して横綱になったことから、出世地蔵の名が一段と増した。出世にご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市桜木町
入道ヶ嶽
入道ヶ嶽(にゅうどうがたけ)は、三重県鈴鹿市にある、標高906mの山。鈴鹿山脈に属し、鈴鹿セブンマウンテンの1つに数えられている。その中では比較的登りやすい山である。
住所 三重県鈴鹿市
都波岐神社
都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)は三重県鈴鹿市にある神社である。両社とも式内社で、旧社格は県社。都波岐神社は伊勢国一宮とされる。明治時代に都波岐神社と奈加等神社を合併したもので、「都波岐奈加等神社」とも称される。都波岐神社は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、奈加等神社は中跡直(なかとのあたい)の先祖の天椹野命(あまのくののみこと)と中筒之男命(なかつつおのみこと)を祀る。 交通安全、方災解除、開運招福などにご利益があるとされています。
住所 三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
宇気比神社
宇気比神社は、三重県志摩市の神社。宇気比神社周辺の樹叢(じゅそう)は神社の鎮守の森で、県の天然記念物に指定されている。 宇気比神社は古くから浜島の守り神として人々から厚く信仰されている神社で、毎年1月11日には「弓引神事(ゆみひきしんじ)と盤の魚(ばんのうお)」の神事が行われる。海上安全のご利益があるとされています。
住所 三重県志摩市浜島町浜島681
伊奈富神社
伊奈富神社は、三重県鈴鹿市の神社。古代様式庭園の七島池や数千本のつつじがある。厄除・交通安全・安産祈願・合格祈願・家内安全・商売繁盛・必勝祈願・安全祈願・病気平癒などのご利益があるとされています。
住所 三重県鈴鹿市稲生西2丁目24-20
饗土橋姫神社
饗土橋姫神社(あえどばしひめ)は伊勢神宮内宮所管社。縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益があるとされています。
住所 三重県伊勢市宇治館町1番地
竜王水
竜王水は、三重県名張市の湧き水。地下水の温度は年間を通じて15度に保たれている。縁結びや安産祈願、交通安全、試験の合格、商売繁盛などにご利益があるとされています。
住所 三重県名張市下小波田
繭気属性から相性の良いパワースポットを探すことができます。