【パワースポット】奈良県のパワースポット一覧~神社・お寺・観光地・旅行・デート~

大神神社

大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市にある神社である。大和国一宮で中世には二十二社の中七社のひとつとされた。三輪明神、三輪神社とも呼ばれる。縁深い兎を形どった「なで兎」や、摂社には万病に効くと伝わる「くすり水」が湧く。 ほか、良縁を願う「夫婦岩」があることでも有名です。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る。日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されている。日本国内で最も古い神社のうちの1つであると考えられている。

三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものであるが、日本唯一のものではなく、他にも三ツ鳥居は存在する。

御神体である三輪山へも登拝できる。大神神社の摂社狭井神社で申し込み、登拝証の襷(たすき)を掛けて登拝する。頂上付近には磐座(いわくら)が散在する。大物主大神は蛇の形で信仰され、境内には白い蛇が棲むといわれている「巳の神杉」がある。

狭井神社の「狭井」とは、神聖な井戸・泉・水源を意味し、そこに湧き出る霊泉は、古くから「くすり水」として信仰されてきた。拝殿奥にある薬井戸からは、万病に効くといわれる御神水が湧き出ている。

境内には二つ仲良く並んでいることから「夫婦岩」と呼ばれる岩がある。室町時代の『三輪山絵図』では「聖天石」と称し、富貴敬愛を祈ると記されている。夫婦円満、子授け、縁結び、恋愛成就などの御利益があるという。

御祭神の大物主大神は「因幡の白うさぎ」を助けたことでも知られるが、このことから大神神社参集殿には「なでうさぎ」がある。このうさぎを撫でると、手足の痛みをとってくれるという。大神神社の本殿から、狭井神社に向かうまでに鎮女池(しずめいけ)という池があり、市杵島神社が祀られている。ここもパワースポットだという。

住所 奈良県桜井市三輪1422

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春日大社

710年に藤原不比等が藤原氏の氏神である武甕槌命を祀ったのが始まりとされ、藤原氏の隆盛に伴って発展しました。平安時代には官祭が行われるようになり、春日祭は賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭と共に「三勅祭」の一つに数えられています。武甕槌命は武力を象徴する軍神であるとともに、産業発展など仕事運の向上にもご利益があるとされています。また、大国主命(オオクニヌシノミコト)と須勢理姫命(スセリヒメノミコト)の日本で唯一夫婦神を祀った夫婦大國神社が鎮座しており、夫婦円満と縁結びのご利益があるパワースポットとして知られています。

住所 奈良県奈良市春日野町160

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脳天大神

脳天大神(龍王院)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峯山寺の塔頭の1つ。終戦後、当時の金峯山寺管長の夢枕に美女が立ち、暗り谷、地獄谷と呼ばれている蔵王堂の西にある滝に「大峯山同様、女人の行場を顕現すべし」との霊示があり、「岩峯大神」として祀られたのが始まりという。

その後、蛇による宣託により、修験道の本尊である金剛蔵王権現の化身である大蛇が脳天大神 龍王院の秘神像として祀られた。首から上の病気にご利益がある。

「吉野の脳天さん」として親しまれ、悩やみごと、願いごと、受験生や就職試験の合格祈願などの頭を使うことすべてに関する大祈祷所として、また『女人の行場』として参拝者が多数訪れるとのこと。病気平癒などにご利益があるとされています。

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山561

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法隆寺

 

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山である。別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。「学業成就」「入学祈願」「諸願成就」などのご利益があるとされています。

聖徳太子ゆかりの寺院であり、創建は推古天皇15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

五重塔が最大のパワースポットだという。東院の中腹に位置する八角堂(通称・夢殿)および西院伽藍の西円堂にもパワーが宿っている。

住所 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1

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東大寺

東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺である。無病息災のご利益があるとされています。

金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)である。古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

3月1日から「修二会」(しゅにえ)、別名「お水取り」が二週間行われる。日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔するというもの。毎年2月の節分の日の夕刻には、星に「除災与楽」を祈る法会「星供養」が行われる。二月堂本堂に万灯明をともし、「星曼荼羅」を掲げて、御祈祷をお願いした人達の名前が読み上げられる。

住所 奈良県奈良市雑司町406-1

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石上神宮

石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市にある神社。別名に、石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、石上神社、石上社、布留社、岩上大明神、布留大明神、等がある。地元では『いわがみさん』と呼ばれていた。勝負強さのご利益があるとされています。

尚、『日本書紀』に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば、日本最古設立の神宮となる。布都御魂大神を主祭神とし、布留御魂大神、布都斯魂大神、宇摩志麻治命、五十瓊敷命(いにしきのみこと)、白河天皇、市川臣を配祀する。

布都御魂大神は神体である布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊である。布都斯魂大神も天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊で、布留御魂大神は十種神宝に宿る神霊のことである。市川臣は、孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命の後裔で、当社社家の祖である。

石上神宮には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていた。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれている。

皇室・出雲国造と同じく、世襲の忌火(いんび)職があり、江戸時代まで物部氏の本宗として、代々森家が務めた。忌火とは、本来神饌を煮炊きする、火鑽(ひきり)によって得た神聖な火の意味。石上神宮の長官職を意味し、皇室の大嘗祭、出雲国造の火継式(神火相続式)に似た、神主の忌火成り神事が行われた。

石上神宮の東方約1.5kmの布留川上流の山中に、落差23mの桃尾の滝(もものおのたき)がある。この滝への上り道の途中、滝から南方200mの所に「石上神社」がある。この石神神社が、石上神宮の元宮との伝説がある。風の属性のパワースポットとしても注目される。

住所 奈良県天理市布留町384

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葛城一言主神社

葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)は奈良県御所市にある神社。大和葛城山の東南麓にあり、東向きに鎮座する。

祭神の一言主神は「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神」であるという託宣の神ということから、願い事を一言のみ叶えてくれると信仰を集めて「いちごん(じ)さん」と呼ばれ親しまれている

本殿の南側にある樹齢1200年の大イチョウが御神木で、乳房のような木肌がいくつも垂れ下がっている姿から、「宿り木」「乳イチョウ」と呼ばれる。健康な子供が授かり、母乳がよく出るようにと、子供を思う親の願いが込められ、人々の信仰を集めている。

住所 奈良県御所市森脇字角田432

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天河大弁財天社

天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、天河神社)は、奈良県吉野郡天川村坪内にある神社である。日本最初の「辨財天社」といわれ、「五十鈴」という御神器でも有名。日本で2番目に古い神社とされている。縁結びのご利益があるとされています。

本殿の向かいに能舞台があり、芸能関係者の崇敬が厚い。御縁のある方だけが参拝でき、招かれざる者はどうやってもたどり着けないという言い伝えがある。

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神とする。芸能の神として知られ、現在も芸能関係の参拝が多い。元の祭神名は弁財天(サラスヴァティー)で、神仏分離により「市杵島姫命」と称するようになったものである。今日でも社名に「弁財天」とついている通り、「弁財天」としても信仰されている。「厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天のひとつ」と称している(他に江の島の江島神社も日本三大弁財天と称している)。

住所 奈良県吉野郡天川村坪内107

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玉置神社

玉置神社

玉置神社(たまきじんじゃ)は、奈良県吉野郡にある神社。大峰山系の霊山の一つである玉置山の山頂直下の9合目に位置し、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の靡(行所)のひとつである。大峯奥駈道とは、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道。開運厄除や出世、商売繁盛、家内安全などにご利益があるとされています。

玉置神社の聖域である玉置山は、山頂を除く標高1000メートルから1040メートルにかけて枕状溶岩堆積地があり、海底火山の噴火により玄武岩質の溶岩が水中に噴出して急速に冷却・固化したことにより生じた、不規則な楕円状または曲がった丸太状の形状をした溶岩が一帯に露頭している。こうした溶岩性の地質により、玉置山の標高800メートル以上の植生はブナ林帯であるにかかわらず、山頂付近のみはスギ、ヒノキ、モミ、ツガなどの針葉樹と、ブナ、ミズナラ、アカシデといった落葉広葉樹が混在する植生を示している。そして、こうした地質と特異な植生からなる景観こそが、玉置山を霊地とし、宿を成立せしめた根元であると考えられている。

玉置山山頂の南側斜面には枕状溶岩の顕著な露頭が見られ、場所によっては枕状溶岩が重なり合って「玉木」あるいは「玉置(玉を重ねて置いた)」ように見える箇所があり、宿や山の名の由来と解される。また、露頭の西端にある乳岩と呼ばれる巌には、鳥居のみを設けて白山権現を祀る白山社の磐座となっており、玉置山における磐座信仰の古い形を伝えるものである。反対側の東端の支尾根には峯中路が走り、その途中に玉石社と呼ばれる地主神の祭壇が設けられている。聖域の根本的な要素である枕状溶岩露頭を峯中路から拝礼しようとする場合、玉石社の祭壇は適所であることから、本来は拝所であったと見ることができる。

玉置山周辺で、峯中路から外れているにもかかわらず、大峯奥駈行における拝礼が続けられている宝冠の森(ほうかんのもり)という行所がある。宝冠の森の頂上一帯、すなわち人に犯されたことのない結界内の森林によって構成されたピークは、権現垂迹の聖地としての「杜」の様相を示している。

住所 奈良県吉野郡 十津川村玉置川1

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玉置山

玉置山(たまきさん)は、奈良県吉野郡十津川村にある山。大峰山系の最南端で標高1076.4メートル、主に石英斑岩で形成される。開運厄除や出世、商売繁盛、家内安全、縁結びにご利益があるとされています。

海のない奈良県にありながら山頂からは熊野灘を望むことができることから「沖見岳」「舟見岳」とも呼ばれ、修験道においては「無漏岳(むろだけ)」とも称された。

東には北山川とその支流の葛川、西と南には十津川とその支流の芦廼瀬川が流れている。山頂直下の九合目には玉置神社があり、悪除童子の在所とされて大峯奥駈道の靡(行所)となっている。かつては別当寺の高牟婁院もあり、長く神仏混淆の修験道の行場として栄えていた。『大和名所図会』には「玉井川村西北一里にあり。峯巒森列にして、中に月見窟・中山・土室等の別峯あり」と記されている。

住所 奈良県吉野郡十津川村

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金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。所願成就などのご利益があるとされています。

高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100ヶ寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が宗教活動の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、また、弘法大師信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。

蔵王堂では、お花見シーズンには吉野山の周囲の緑に映える満山の桜を楽しむことができる。2004年7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山

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吉野山

吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名である。不安や心の痛み、病の源などの悪い気や穢れを拭い去ってくれるご利益があるとされています。

古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来た事がある。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わう。地域ごとに下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれている。

大正13年(1924年)12月には国の名勝・史跡に指定され、昭和11年(1936年)2月 には吉野熊野国立公園に指定された。また平成16年(2004年)7月には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。平成2年(1990年)には日本さくら名所100選に選定された。

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山

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橿原神宮

橿原神宮

橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山の麓、久米町に所在する神社である。縁結びのご利益があるとされています。

この地は、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる。橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けたが、明治23年(1890年)に官幣大社として創建された。

初詣の時期や2月11日の建国記念の日に勅使参向のもと行われる紀元祭には、特に多くの参拝客が訪れる。末社の長山稲荷神社が隠れたパワースポットと言われている。橿原神宮の鎮座以前から、長山の地主神として祀られていたという。

住所 奈良県橿原市久米町934番地

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室生龍穴神社

室生龍穴神社(むろうりゅうけつじんじゃ)は奈良県宇陀市の古社。水の神、竜神を祀り、室生寺よりも古い歴史をもつ。境内入り口にはある道理の杉(夫婦杉)は縁結びのパワースポットと言われている。

また室生龍穴神社から更に奥に向かうと、天の岩戸がある。大きな苔むした岩が二つ並びしめ縄がかかっている。さらに奥には室生龍穴神社の奥宮である吉祥龍穴がある。龍神が住む場所と伝えられている。浄化や厄払いののご利益があるとされています。

住所 奈良県宇陀市室生区室生1297

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室生寺

室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基(創立者)は、賢璟(けんきょう)、本尊は釈迦如来である。

奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院で、宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。なお、山号の「宀一」は「室生」の略だという。仏塔古寺十八尊第十八番。

住所 奈良県宇陀市室生区室生78

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元興寺

元興寺(がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身である。法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となった(ただし、飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっている)。健康長寿などにご利益があるとされています。

奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、現在は奈良市中院町の元興寺と、奈良市芝新屋町の元興寺に分かれている。

中院町の元興寺極楽坊には「かえる石」がある。かつて河内の川べりにあった殺生石だったが、太閤秀吉が気に入って大坂城に運び入れ、大坂城落城の際には、淀君の亡骸をこの石の下に埋めたという説がある。また落城後、かえる石から堀に入水する人が続いたり、堀に身を投げた人がこのかえる石のもとに浮かんできたり、という不思議なことが起こったという。その後、縁があってこの寺に移され、有縁無縁一切の霊を供養して極楽カエルに成就した。現在は、「無事かえる」「福かえる」の名石として信仰を集める。

住所 奈良県奈良市中院町11

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朝護孫子寺

朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の信貴山にある信貴山真言宗総本山の寺である。本尊は毘沙門天(多聞天とも称する)。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。毎年初詣時期には多くの参拝客でにぎわう。

大和七福神(朝護孫子寺、久米寺、子嶋寺、小房観音寺、談山神社、當麻寺中之坊、安倍文殊院)のひとつにも数えられる。学業成就、商売繁盛、開運招福などにご利益があるとされています。

聖徳太子に仕えた満願の寅で、すべての願いごとを叶えてくれるという寅の像がある。本堂に向かって一礼し、寅の足をさすり、御真言「オン ベイシラマンダヤ ソワカ」を三回唱える。

また「ぼけ封じ 寅の子 大師」と呼ばれる像があり、虎の頭を撫でて祈願するとボケ封じになるという。また、この虎の足に触れて「寅の子」のお金の足るように祈願することから金運パワースポットとしても知られている。

住所 奈良県生駒郡平群町大字信貴山2280-1

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三輪山

三輪山

三輪山(みわやま)は、奈良県桜井市にある山。奈良県北部奈良盆地の南東部に位置し、標高467.1m、周囲16km。三諸山(みもろやま)ともいう。なだらかな円錐形の山である。諸願成就のご利益があるとされています。

三輪山は、縄文時代又は弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であったとされている。古墳時代に入ると、山麓地帯には次々と大きな古墳が作られた。そのことから、この一帯を中心にして日本列島を代表する政治的勢力、すなわちヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したと考えられている。

200から300メートルの大きな古墳が並び、そのうちには第10代の崇神天皇(行灯山古墳)、第12代の景行天皇(渋谷向山古墳)の陵があるとされ、さらに箸墓古墳(はしはかこふん)は『魏志』倭人伝に現れる邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかと推測されている。

『記紀』には、三輪山伝説として、奈良県桜井市にある大神神社の祭神・大物主神(別称三輪明神)の伝説が載せられている。よって、三輪山は神の鎮座する山、神奈備とされている。

三輪山の祭祀遺跡としては、辺津磐座、中津磐座、奥津磐座などの巨石群、大神神社拝殿裏の禁足地遺跡、山ノ神遺跡、狭井神社西方の新境内地遺跡などがある。

頂上には高宮神社が祀られているが、延喜式神名帳には式内大社として神坐日向神社が載せられている。この日向神社は、古代には三輪山の頂上に祀られ、太陽祭祀に深く関わっていた神社であったと推測されている。

頂上付近はかなり広い平地である。この神社の東方に東西約30m、南北10mの広場に高さ約2mの岩がたくさんある。これが奥津磐座である。現在、この山中で見学できるのはこの磐座だけである。

住所 奈良県桜井市

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箸墓古墳

箸墓古墳

箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳とも)は奈良県桜井市纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳である。建造時期や大きさなどから卑弥呼の墓に見立てられることも多いが、未だその確証は無い。

周濠内の池は古くから農業用水として利用され、2010年(平成22年)3月11日農林水産省により箸中大池としてため池百選に選定された。産業、方除、造酒と製薬、縁結びなどにご利益があるとされています。

住所 奈良県桜井市箸中1087

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奈良公園

奈良公園(ならこうえん)は、奈良県奈良市の若草山麓に広がる都市公園。国の名勝。家内安全、交通安全、病気平癒、学業成就などにご利益があるとされています。

公園内には多くの国宝指定・世界遺産登録物件が点在し、年間を通じて日本国内のみならず外国からも多くの観光客が訪れ、日本を代表する観光地の一つとなっている。奈良の大仏や鹿(約1200頭)は国際的にも有名で、奈良観光のメインとなっており、修学旅行生の姿も多く見られる。東大寺修二会やなら燈花会、正倉院展、春日若宮おん祭など古都ならではの見ごたえのある行事も数多い。春には桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されており、浮見堂周辺で花見を楽しむ人も多い。

住所 奈良県奈良市

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石舞台古墳

石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。1952年(昭和27年)3月29日、国特別史跡に指定される。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出する。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。

住所 奈良県高市郡明日香村島庄

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高松塚古墳

高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。学業成就などにご利益があるとされています。

住所 奈良県高市郡明日香村平田

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丹生川上神社

丹生川上神社 下

丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡東吉野村にある神社。心願成就、縁結びなどにご利益があるとされています。

古くは「雨師明神」と称され、江戸時代からは「蟻通明神」とも称された。大正以降、同郡川上村の丹生川上神社上社・同下市町の丹生川上神社下社に対して「丹生川上神社中社」とも称されるようになったが、これは上下2社が既に存在したために、これを「中」としたもので、位置関係や社格の上下を表すものではない。

10月16日の例祭は「壇尻(だんじり)祭」「小川祭」とも称し、氏子区内から8基の太鼓台が繰り出し、境内を乱舞する。大和三大祭りの一つである。祈雨・止雨の社として、古来より朝廷の篤い信仰を受けており、強力な水の浄化パワースポットとなっている。

祈雨祈晴の馬が丹生川上社に供献されることが多かったが、祈雨には黒馬、祈晴には白馬が捧げられたという。黒は水、白は金を表すという。また馬は火に相当する。吉野一帯は銅や水銀の鉱脈などがあり地の力が強い土地であり、雑念が消え集中力が高まるという。

住所 奈良県吉野郡東吉野村大字小968

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長寿岩

長寿岩は、奈良県山辺郡山添村の山添村ふるさとセンター前にある巨石。直径約7メートル、重量約6トン以上。健康長寿のご利益があるとされています。

平成7年にふるさとセンター建設の造成工事の際出土したもので、およそ1億年前に、地下10から20kmでマグマが固まった花崗岩である。山添村には他にも多くの巨石があり、磐座信仰などとの繋がりが指摘されている。

住所 奈良県山辺郡山添村大西

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大峰山

大峰山(おおみねさん)は奈良県の南部にある山。縁結び・和合・商売繁盛・学問成就にご利益があるとされています。

現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)をさしていう。歴史的には、大峰山は大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々をさす。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。

吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来よりの自然信仰と渾然一体となった渡来の神仙思想や道教や仏教の修行のために、藤原や平城の都からこの地を訪れた僧侶(修験者)によって切り開かれたことに始まった。熊野修験が勢力を伸ばす中で長久年間(1040年 – 1044年)に修験者(義叡、長円)により熊野から吉野までの大峯奥駈道が体系付けられた。

熊野から吉野まで詣でることを順峯。吉野から熊野まで詣でることを逆峯と呼んでいる。なお大峯山では「峯」の文字を使用しており、これは「山久しくして平らかなり。」という意味を示している。

住所 奈良県吉野郡

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南法華寺

南法華寺

南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗の寺院。山号は壺阪山。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。703年(大宝3年)創建と伝え、西国三十三箇所第六番札所。 縁むすびのご利益があるとされています。

本尊十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名。園内には養護盲老人ホーム慈母園がある。

先代住職のインドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として贈られた「天竺渡来大観音像」は、大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大なもの。その他、インド渡来のものとしては、石像大仏伝図、天竺渡来大石堂がある。

住所 奈良県高市郡高取町大字壺阪3

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狭井神社

狭井神社は、奈良県桜井市三輪の狭井川の畔にある大神神社の摂社。正式には「狭井坐大神荒魂神社(さいにいますおおみわあらみたまじんじゃ)」。縁結びや恋愛成就、夫婦円満のご利益があるとされています。

社伝によれば、創祀は垂仁天皇の時代とされている。大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)を主神として祀り、大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多多良姫命および事代主神を配祀している。荒魂(あらみたま)とは、荒ぶるような猛々しい働きをもって現れる霊魂のことである。戦時や災時などにあたって現れ、祭祀(さいし)を受けることによって和魂(にぎみたま)の性質に変わる。

境内の「薬井戸(くすりいど)」から、「薬水(くすりみず)」と呼ばれる御神水が湧く。薬井戸の近くには御神水を使った「水琴窟(すいきんくつ)」もある。

また狭井神社は、鎮花祭(はなしずめまつり)が行われる神社として知られ、「花鎮社」とも言われている。鎮花祭りは、俗に「くすりまつり」ともいい、毎年4月18日に大神神社とこの狭井神社で執り行われる重要な祭り。崇神天皇のとき、全国に疫病が流行したが、大田田根子を召して祭神の大物主神を祭ったところ疫病が止んだことに由来する。

住所 奈良県桜井市三輪21

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吉水神社

吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町 (奈良県)吉野町にある神社である。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素となっている。病気平癒、家内安全、交通安全、気力UPのご利益があるとされています。

元々は金剛峯寺の修験道の僧坊・吉水院(きっすいいん)で、明治の神仏分離の際に神社となった。後醍醐天皇を主祭神とし、南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。

寺伝では、白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けてに吉水院に行宮を設けて一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安した。

吉水神社は、源義経と静御前の最後の別れの場所となった物語が有名。義経は、兄の頼朝の追手を逃れて吉野に潜伏し、静御前の悲しい舞を見ながら逃避の生活を送ったと言われている。

吉水神社の「一目千本」と書かれた看板の場所から見える風景は、「一目みると十年寿命が延びる」とも言われるほどすばらしい景色である。秀吉公も大声でまるで子供のようにはしゃいで喜んだと言われている。とりわけ「北闕門(ほくけつもん)」の邪気祓所が、パワースポットとして人気を集めている。

北闕門は、後醍醐天皇が京都に凱旋する時の門であり、昔から修験者たちの祈りの場であった。ここより大峰山に入山するにあたり無事に下山できるようにと、祈りを捧げた。後醍醐天皇も朝夕必ずこの北闕門に立たれ、京都の空を仰ぎながら九字を切ったと言われ、また楠正行(くすのきまさつら)も出陣にあたり、九字真法の印を切り結んだと伝えられる。

吉水神社の本社手前にある弁慶力釘(べんけいちからくぎ)もパワースポットと言われており、豊臣秀吉もそのパワーにあやかろうとしたという。文治元年(1185年)、兄源頼朝の追手から逃れた源義経と静御前が弁慶と共に吉水神社に忍んだ際、源義経を追手から守ろうとした弁慶が、その親指で二本の釘を石に打ち込んだ伝えられている。

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山

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宝山寺

宝山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。「生駒の聖天さん」と地元の人に愛される。山号は生駒山(いこまさん)。1678年に湛海律師によって開かれた。商売繁盛などにご利益があるとされています。

本尊は不動明王。鎮守神として歓喜天(聖天)を聖天堂に祀っている。仏塔古寺十八尊第十五番。生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。

境内にはたくさんの建造物があるが、その中でも一際目を引くのが、本堂の背にある大きな岩壁にある「般若窟」。般若窟には、エキゾチックな相貌の弥勒菩薩の銅像が祀られていて、様々な願いを叶えてくれる「商売の神様」と信仰されている。この般若窟がパワースポットだと言われている。宝山寺に続くケーブルカーは、日本最初のケーブルカーとしても知られる。

住所 奈良県生駒市門前町1番1号

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薬師寺

薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。病気平癒のご利益があるとされています。

本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇である。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。静かで落ち着いたエネルギーに満ちていて、病気平癒のご利益がある。

南門から入り右の茶屋は風水的には「天医」と呼ばれる場所で健康パワーが満ちている。ぐるりと回って大宝蔵殿を訪れてると、「生気」と呼ばれる場所で最もエネルギーの良い場所だという。また、二つある五重塔の南門を背にして右側の方がエネルギーが高いという。

住所 奈良県奈良市西ノ京町457

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飛鳥坐神社

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ、あすかにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社である。家内安全・商売繁盛・開運厄除・夫婦和合・身体健康・生育安全・念願成就・子宝・安産・縁結びのご利益があるとされています。

2月第1日曜日(元は旧暦1月11日)のお田植神事「お田植祭(おんだまつり)」には夫婦和合の所作があり、奇祭として知られている。境内には、男性器を模した石が多く安置されている。

境内には、江戸時代に式内小社飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)が遷座している。大山津見命、久久乃之知命、猿田彦命を祀る。「飛鳥山」はかつての皇室の御料林であり、その山神を祀ったものと考えられる。

「力石」と呼ばれる大きな石があり、この石を男性は左手で、女性は右手で持ち上げることができれば、幸運がつかめるという。

住所 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708

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安倍文殊院

安倍文殊院(あべもんじゅいん)は奈良県桜井市にある華厳宗の寺院である。山号は安倍山。本尊は文殊菩薩。開基は大化の改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)である。魔除け方位除けのご利益があるとされています。

切戸文殊(京都府宮津市)・亀岡文殊(山形県高畠町)とともに日本三文殊に数えられる。また、大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。

創建当時の寺地は現在の文殊院の西南300メートルほどのところであり、鎌倉時代に現在地に移された。旧寺地は「安倍寺跡」として国の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。

安倍文殊院では陰陽師・安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれ、平成16年(2004年)には安倍晴明堂が建立されている。晴明堂には「如意宝珠の玉石」と呼ばれる石があり、願いごとをしてこの玉に触れると叶えられるという。

重要文化財に指定されている白山神社本殿は、室町時代後期の建立された流造柿葺の建物で、縁結びの神として知られる。境内には文殊院西古墳、文殊院東古墳がある。文殊院西古墳は本堂近くにある7世紀中頃の古墳で、豪族安倍(阿倍)氏一族の墓であることはほぼ確実視され、安倍倉梯麻呂の墓であるともいわれる。

文殊院東古墳は7世紀前半に築造されたといわれる古墳で、古来から閼伽井窟(あかいくつ)と呼ばれ、信仰の対象とされてきた。この東古墳の羨道中程に、昔から枯れることなく湧き出ている泉があり、「知恵の水」と呼ばれている。この水で習字をすると上達し、知恵が授かるという。

住所 奈良県桜井市阿部645

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長谷寺

長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。美人祈願・金運・立身出世のご利益があるとされています。

本尊は十一面観音、開基(創立者)は道明上人とされる。西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。

大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。

また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場する。中でも「源氏物語」にある玉鬘(たまかずら)の巻のエピソード中に登場する二本の杉(ふたもとのすぎ)は現在も境内に残っている。

住所 奈良県桜井市初瀬731-1

談山神社

談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は、藤原鎌足(談山大明神・談山権現)。桜と紅葉の名所である。神仏分離以前は、寺院であり、多武峯寺或いは多武峯妙楽寺という名称であった。

境内の東殿(恋神社)脇にあるむすびの磐座(いわくら)が、縁結びのパワースポットとして人気を集めている。権殿の隣奥に佇む龍神社もパワースポットとして知られている。

住所 奈良県桜井市多武峰319

興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。開運全般、勝負事、受験などにご利益があるとされています。

藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺である。古代から中世にかけて強大な勢力を誇り、鎌倉・室町両幕府は大和国に守護を置くことができなかった。南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

南円堂は藤原冬嗣が父・内麻呂追善のために建てた八角の円堂で、願いを叶えてくれる一言観音が祀られている。

住所 奈良県奈良市登大路町48番地

猿田彦神社

猿田彦神社(道祖神社)は奈良県奈良市今御門町にある神社。御祭神は猿田彦命、市杵島姫命。商売繁盛、開運招福、良縁・安産などにご利益があるとされています。

平城天皇の時代に元興寺境内に創建されたと伝えられる。古来より、道祖神、妻神、宝神として名高く、道開き・商売繁盛・開運招福の神であり、また良縁・安産の神すなわち妻神として多くの女性の信仰を集めてきた。

また猿田彦神社境内の巨石は、宝の神として勝負事の守護神とされる。「賽の神」と呼ばれ、この大石にさわると勝負事に霊験ありといわれている。毎年8月7日にサイコロを祀る行事も行われている。

住所 奈良県奈良市今御門町

唐招提寺

唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の一つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。健康長寿のご利益があるとされています。

井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂をはじめ、多くの文化財を有する。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

住所 奈良県奈良市五条町13-46

立里荒神

立里荒神(たてりこうじん)、別名・荒神社(こうじんじゃ)または立里荒神社(たてりこうじんじゃ)は、奈良県吉野郡野迫川村の荒神岳の頂上にある神社。高野山の奥社。商売繁盛のご利益があるとされています。

荒神社は弘法大師が高野山を開山する際に勧請したとされる神社で、三宝大荒神のひとつとして全国各地からたくさんの参拝者が訪れる。雲海の景勝地でもある。

住所 奈良県吉野郡野迫川村池津川347

檜原神社

檜原神社(桧原神社、ひばらじんじゃ)は奈良県桜井市の神社。大神神社の摂社で天照大御神を祀る。御神体は磐座と神籬で、本殿や拝殿はなく、三輪鳥居だけが立っている。大和三山をはじめ大和盆地の向こうに二上山を望むことができる。元伊勢とも言われる。縁結び・恋愛成就のご利益があるとされています。

住所 奈良県桜井市三輪字桧原

龍泉寺

龍泉寺(りゅうせんじ)は奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派の寺院で、同派の大本山である。山号は大峯山。吉野の竹林院、桜本坊、喜蔵院、東南院と共に山上ヶ岳にある大峯山寺の護持院の1つ。本尊は弥勒菩薩。近畿三十六不動尊霊場第31番札所。

洞川地区の中心的寺院として龍王講社を組織し、多くの参詣講を組織しているなど、大峯山山上ヶ岳への登拝の出発点となっている。健康運・無病息災・心身のパワーアップにご利益があるとされています。

住所 奈良県吉野郡天川村洞川494

山の辺の道

大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市にある神社である。三輪明神、三輪神社とも呼ばれる。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る。日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されている。日本国内で最も古い神社のうちの1つであると考えられている。三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものであるが、日本唯一のものではなく、他にも三ツ鳥居は存在する。

住所 奈良県桜井市三輪

平城宮跡

平城宮(へいじょうきゅう、へいぜいきゅう)は奈良の古都平城京の大内裏。1852年(嘉永5年)、奉行所の役人であった北浦定政が『平城宮大内裏跡坪割之図』を著し、平城京の跡地を推定した。現在は、ほぼ本来の平城宮跡地が指定され保存されている。

文化庁による「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」に基づき、遺跡の整備・建造物の復原を進めている。既に第一次大極殿・朱雀門・宮内省地区・東院庭園地区の復原が完了している。

住所 奈良県奈良市二条大路南2丁目2

信貴山千手院

信貴山千手院(せんじゅいん)は、奈良県生駒郡平群町にある信貴山真言宗の大本山。朝護孫子寺の最古の塔頭であり、同時に最古の建造物(書院)を有する。金運招福にご利益があるとされています。

本尊は毘沙門天。境内には十一面観音を本尊とする観音堂や金運招福の銭亀善神を祀る。日本で唯一の金運招福の神、「銭亀善神」を祀る。

銭亀堂の授与所で金運招福銭亀御守と壱億円札が入った「銭亀御守のセット」を授かり、それを石臼「銭亀さん」に乗せ、『南無銭亀善神(なむぜにがめぜんじん)』と唱えながら石臼を右に廻すと、金運が良くなるという。

住所 奈良県生駒郡平群町大字信貴山2280

丹生川上神社下社

丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)は、奈良県吉野郡下市町にある神社。社名は川上村の丹生川上神社上社に対するものである。五穀豊穣、病気平癒や健康長寿などにご利益があるとされています。

住所 奈良県吉野郡下市町大字長谷1-1

高鴨神社

高鴨神社(たかかもじんじゃ)は、奈良県御所市の金剛山東山麓にある神社。再生復活、病気平癒のご利益があるとされています。

京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称する。4月中旬から5月初旬にかけて500種2200鉢以上の日本サクラソウが咲く。

住所 奈良県御所市鴨神1110

飛鳥寺

飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある寺院。蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的私寺でもある法興寺の後身。現在の正式寺名は安居院(あんごいん)。現在の宗派は真言宗豊山派に属する。縁結びのご利益があるとされています。

本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子とされている。山号を鳥形山(とりがたやま)と称するが、古代の寺院には山号はなく、後になって付けられた山号である。なお「鳥形山」は寺の北東、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)のある山。

住所 奈良県高市郡明日香村飛鳥682

桃尾の滝

桃尾の滝(もものおのたき)は奈良県天理市滝本町にある滝。

布留川の上流に位置しており、古今和歌集において後嵯峨天皇や僧正遍照が「布留の滝」と詠んだ滝と言われている。明治時代に廃絶されるまでは桃尾山蓮華王院龍福寺という密教寺院の境内地だった。また、石上神宮の元宮であったとも伝わり、毎年7月の第3日曜日には滝開きの神事が執り行われる。

滝壼の左側には鎌倉時代中期の作である不動三尊磨崖仏や、南北朝時代前期の作とされる如意輪観音と不動三尊の石仏などがあり、当時の面影が残る。

住所 奈良県天理市滝本町

橘寺

橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。

橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。

住所 奈良県高市郡明日香村大字橘

龍田大社

龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町にある神社である。風の神(風神)として古くから信仰を集める。

御祭神は天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)。龍田風神と総称される。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。紅葉の名所としても有名である。

住所 奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1

吉野神宮

吉野神宮(よしのじんぐう)は、奈良県吉野郡吉野町に鎮座する後醍醐天皇を祭神とする神社。旧社名は吉野宮。

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山3226

與喜天満神社

與喜天満神社(よきてんまんじんじゃ)は、奈良県桜井市の神社。御祭神は菅原道眞。与喜山(天神山)の南西中腹に境内がある。縁結び、縁切りのご利益があるとされています。

天慶九年(946)天満天神の化身神殿太夫武麿が長谷の滝蔵社・観音堂などに参詣したところ、滝蔵権現が、伽藍の守護を天満天神に譲り、東の峯は、断惑修善に良き地なのでその峯に住むように命じたため、天神は雷神となって降臨し、与喜大明神と称したという。

住所 奈良県桜井市初瀬14

久延彦神社

久延彦神社は、奈良県桜井市三輪の神社。受験・進学・就職などにご利益があるとされています。

御祭神の久延毘古命は、「かかし」のこと。『古事記』によると、少名毘古那神がはじめて出現した時、誰も知らなかった少名毘古那神の名を知っていた神であり、知識の神として崇敬されている。

住所 奈良県桜井市三輪

大安寺

大安寺(だいあんじ)は、奈良県奈良市にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。癌封じ(がん封じ)、病気平癒などにご利益があるとされています。

南都七大寺の1つに数えられ、奈良時代には東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった。近年は癌封じのパワースポットとして人気を集めている。

住所 奈良県奈良市大安寺2丁目18-1

磐座神社

磐座神社(いわくらじんじゃ)は、奈良県桜井市の神社。三輪山周辺の神社の一つで、少彦名命(すくなひこなのかみ)が祀らている。縁結び・恋愛成就・夫婦円満にご利益があるとされています。

住所 奈良県桜井市大字三輪

キトラ古墳

キトラ古墳(キトラこふん)は、奈良県高市郡明日香村の南西部、阿部山に築かれた古墳。亀虎古墳とも書く。墳丘にある石室内に壁画が発見され高松塚古墳と共に保存事業が進められている。子宝、安産、縁結びにご利益があるとされています。

壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳であると見られている。

誰が埋葬されているかは未だ判然としていない。年代などから、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られている。また、金象眼が出土したことから、銀装の金具が出土した高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていると推測される。

住所 奈良県高市郡明日香村

當麻寺

當麻寺(当麻寺、たいまでら)は、奈良県葛城市にある飛鳥時代創建の寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。

西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。毎年5月14日に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には多くの見物人が集まるが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものである。奈良時代 – 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。「就職祈願」「商売繁盛」「勝運」「必勝祈願」「合格祈願」「大成」などにご利益があるとされています。

住所 奈良県葛城市當麻1263

吉野水分神社

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町子守地区(吉野山上千本)にある神社。子授けや安産、育児のご利益があるとされています。

葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている。宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたといわれている。

2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。国宝「木造玉依姫命(たまよりひめのみこと)坐像」を所蔵する。

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山1612

巻向山

巻向山(まきむくやま)は奈良県桜井市の山。大神神社の御神体である三輪山に隣接する。標高567m。二峰からなり、万葉集に詠まれる弓月ヶ嶽(ゆつきがたけ)はこの一峰にあてられる。西麓は垂仁天皇の纏向珠城(たまき)宮,景行天皇の纏向日代(ひしろ)宮が置かれたと推定されている。縁結びのご利益があるとされています。

かつて古代出雲族が居住していた地で、神の奉斎地だったと言われるダンノダイラの磐座がある。麓にはこのダンノダイラの磐座の遥拝所だったという十二柱神社がある。真言律宗の奥不動寺がある。大神神社の神宮寺であった大御輪寺(現若宮社の地)の奥の院といわれている。

明治政府による神仏分離令・廃仏毀釈により、大御輪寺は解体され、奥不動寺も一時は荒れ果てていたという。岩肌に彫り込まれた御神体の磨崖仏・不動明王が北向きであったため、北向き不動の奥不動寺として尊崇の対象となってきた。奥不動寺そばには「白山」という灰白色の奇岩群が広がっている。

住所 奈良県桜井市辻728

高天彦神社

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は、奈良県と大阪府の県境にある金剛山の東麓、奈良県御所市高天にある神社。祭神は高皇産霊尊、市杵嶋姫命、菅原道真の3柱だが、元々は葛城山の地主神の高天彦を祀っていたとも言われている。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。

かつては葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ金剛山は、古くは高天山といわれていた。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地。諸願成就・金運・仕事運・商売繫盛・合格祈願などにご利益があるとされています。

住所 奈良県御所市高天

丹生川上神社

丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡東吉野村にある神社。心願成就、縁結びなどのご利益があるとされています。

高龗神(たかおかみのかみ)を主祭神に、 大山祇神・大雷神を配祀する。なお、以前は罔象女神を主祭神としていたが、大正11年(1922年)の現丹生川上神社(中社)との併合に際して、高龗神に改めた。

住所 奈良県吉野郡川上村大字迫869-1

金峯神社

金峯神社(きんぷじんじゃ)は奈良県吉野郡吉野町にある神社である。吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祭る。吉野山の地主神である金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀る。金運アップにご利益があるとされています。

金峰神社脇の小径を下った場所に「義経隠れ塔」がある。宝形造・檜皮葺きの簡素な塔である。追っ手に囲まれた源義経が屋根を蹴破って逃げたといわれ、「蹴抜の塔」とも呼ばれる。2004年7月、境内がユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。

住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山1651

霊山寺

霊山寺(りょうせんじ)は奈良市中町にある霊山寺真言宗大本山の寺院。山号は登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)、開基(創立者)は行基と菩提僊那、本尊は薬師如来である。寺名の読みは「りょうせんじ」が正式であるが、「りょうぜんじ」「れいざんじ」と呼ばれることもあり、地元ではいずれの呼称でも通じる。商売繁盛、金運アップのご利益があるとされています。

奈良市の西郊、富雄地区にあり、富雄川の支流湯屋川をはさんで南北両側の丘陵上に鎌倉時代建立の本堂(国宝)、三重塔(重文)などの建物が建つ。これら古建築とともに、全面金箔貼りの黄金殿、バラ園、温泉、ゴルフ練習場、大霊園などの設備を有する異色の寺院である。境内東側の正面入口には一般の仏教寺院と違い、門ではなく朱塗りの鳥居が立つ。これは信仰の中心となっている大弁才天堂への入口を示すものである。

住所 奈良県奈良市中町3879

廣瀬大社

廣瀬神社(ひろせじんじゃ)は奈良県北葛城郡河合町にある神社である。廣瀬大社(ひろせたいしゃ)と呼ばれることもある。

若宇加能売命(わかうけのめのみこと)を主祭神とし、相殿に櫛玉命(くしたまのみこと)、カグツチ 穂雷命(ほのいかづちのみこと)を祀る。

由緒書では、若宇加能売命は伊勢神宮外宮のトヨウケヒメ 豊宇気比売大神、伏見稲荷大社のウカノミタマ 宇加之御魂神と同神であるとしている。広瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)ともいう。龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。ただし、本来の祭神はナガスネヒコ 長髄彦であるとする説もある。神仏霊場会霊場番号31番、奈良18番。

住所 奈良県北葛城郡河合町大字川合99

秋篠寺

秋篠寺(あきしのでら)は、奈良県奈良市秋篠町にある寺院。奈良市街地の北西、西大寺の北方に位置する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は奈良時代の法相宗(南都六宗の1つ)の僧・善珠とされている。山号はなし。宗派はもと浄土宗に属したが現在は単立である。伎芸天像と国宝の本堂で知られる。

『続日本紀』に宝亀11年(780年)、光仁天皇が秋篠寺に食封(じきふ)一百戸を施入したとあるのが文献上の初見である(食封とは、一定地域の戸(世帯)から上がる租・庸・調を給与や寺院の維持費等として支給するもの)。また、『日本後紀』には大同 (日本) 大同元年(806年)、桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われたことが見え、天皇家とも関連の深い寺院であったと思われる。

住所 奈良県奈良市秋篠町757

海龍王寺

海龍王寺(かいりゅうおうじ)は奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院。本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称がある。航空安全、渡海安全などにご利益があるとされています。

住所 奈良県奈良市法華寺北町897

蜻蛉の滝

蜻蛉の滝(せいれいのたき)は、奈良県吉野郡川上村の滝。高さ約50メートル2段の滝。第21代雄略天皇がこの地を狩に訪れた時、天皇の臂(ひじ)に虻(あぶ)が食いついたのをどこからともなくきた蜻蛉(とんぼ)が噛み殺したという伝説から、この名がある。

住所 奈良県吉野郡川上村大滝

西大寺

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある、真言律宗総本山の寺院。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰(じょうとう)を開山(初代住職)として建立された。縁結びにご利益があるとされています。

南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)によって復興された。山号は勝宝山。現在の本尊は釈迦如来である。

住所 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5

御霊神社

御霊神社は、奈良県五條市の神社。この他、五條市には数多くの御霊神社がある。出世、商売繁盛、厄除開運、健康長寿、縁結びなどにご利益があるとされています。

御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする信仰のこと。

住所 奈良県五條市中之町

圓照寺

圓照寺(円照寺・えんしょうじ)は、奈良県御所市にある浄土真宗本願寺派の寺院。市内を流れる葛城川の東部(東御所)に位置する。山号は東向山、本尊は阿弥陀如来。大和五ヶ所御坊の1つで御所御坊とも言われる。商売繁盛などにご利益があるとされています。

1546年(天文15年)、笑雲上人(桑山源吾)によって常徳寺(浄徳寺)として開山、その後は桑山氏の援助もあって寺内町を形成していった。1600年(慶長5年)2月、本山の准如上人から懸所坊舎に命ぜられ西本願寺の触頭を勤める。1610年(慶長15年)、圓照寺と改名し御所御坊として葛上郡(大和平野南西部)周辺の西本願寺派50寺余りを統括し布教の拠点となった。

住所 奈良県御所市大橋通り2丁目東向町1490

天石立神社

天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)は奈良県奈良市柳生町の岩戸谷にある神社。戸岩山という小高い山の北麓、標高330メートルの山中に本殿を有たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。『延喜式神名帳』に「天乃石立神社」と記載される式内小社で旧社格は村社。

社辺は戸岩谷と称し「一刀石」をはじめとする巨岩、巨石が累々とする景勝地で、沢庵によって「柳生十景」の一に数えられ、「万年渓」と名付けられた。

扉形に3つに割れた花崗岩の巨岩「前伏磐」、「前立磐」、「後立磐」の3石の周囲の樹間に注連縄を張り廻らし、これを神体として祀る。「前立磐」は「神戸(かんべ)岩」とも称すが、他の2岩とともに天岩戸の扉石が落ちてきたものという。また昭和28年(1953年)に南西の崖から落ちてきた丸形の「きんちゃく岩」を加え祀っている。

また、神社の北方100m程隔たった所には一刀石がある。全体で長さ 8m、幅7m、高さ2mの花崗岩であるが、中央付近で斜め一直線に割れている。上泉信綱と試合をして敗れた石舟斎宗厳が3年間この地で毎夜天狗を相手に剣術修行をし、ある夜一刀のもとに天狗を切ったと思えば実はこのこの岩であったと伝え、現に岩面に天狗の足跡が残るという。因みに宗厳はこの修行で無刀の極意を悟り、柳生新陰流の始祖となったという。

住所 奈良県奈良市柳生町柳生字岩戸谷789

大台ヶ原山

大台ヶ原山(おおだいがはらやま)は奈良県と三重県の県境にある標高1695.1mの山である。深田久弥によって「日本百名山」に選ばれたほか、日本百景、日本の秘境100選にも選ばれ、山全体が特別天然記念物に指定されている。

住所 奈良県吉野郡上北山村

等彌神社

等彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県桜井市桜井にある神社。明治時代までは能登宮と呼ばれていた。上ッ尾社と下ッ尾社に別れている。本社にあたる上ッ尾社の御祭神は大日霊貴命とされるが、饒速日命とする説も存在する。

創建年月は不詳であるが、社伝によると当社は古来より鳥見山に鎮座していたとされる。鳥見山は初代天皇とされる神武天皇が皇祖神を祀った場所と伝えられる。天永3年(1112年)、山崩れにより社殿を現在地に移した。昭和15年(1940年)、県社に列格した。神社入口に友情句碑として、佐藤春夫の句碑と、堀口大学の句碑が併せて建碑されている。

住所 奈良県桜井市桜井1109

春日山原始林

春日山原始林(かすがやまげんしりん)、春日山原生林(かすがやまげんせいりん)は、奈良県奈良市の市街市東方に位置する原生林。春日大社の山として神聖視され、樹木伐採が長らく(千年以上に渡り)禁じられてきたため、森林が極相に達した原生林が広がっている地域である。春日大社後方の御蓋山(みかさやま)からその東にある主峰の花山(標高498m)、香山(高山・こうぜん)らを含む一帯を総称して春日山という。

市街地(奈良市)に近接して原生林が存在することは極めて珍しく、保護の対象にするべきとして、特別天然記念物に指定されており、うち春日山の照葉樹林は国の名勝にも指定されている。また、古都奈良の文化財の一部として世界遺産にも登録されている。

住所 奈良県奈良市川上町

くつな石

くつな石は、奈良県高市郡明日香村の奇石。石舞台古墳から更に登った位置にある。

その昔、巨大な石を見つけた石屋が切り出そうとして、鑿(ノミ)で打つと、石の割れ目から赤い血が流れ出し、傷ついた白い蛇が現れた。それを見た石屋が驚き逃げ帰ると、その夜から高熱にうなされ、亡くなってしまった。これを聞いた村人達が、「くつな(蛇)」の祟りと恐れ、それ以来、神の宿る石として祀られるようになったという。

地元では七月二十一日を「弁天さんの夏祭」とし、お神酒をはじめ、種々の品々を神前に供え、般若心経を唱えてお祀りをしていた。

住所 奈良県高市郡明日香村

白毫寺

白毫寺(びゃくごうじ)は、奈良県奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は勤操(ごんそう)と伝える。婦人病治癒のご利益があるとされています。

奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建つ寺である。関西花の寺第18番(萩)。なお、寺号の「白毫」は、仏の眉間にある白い巻毛のことである。

霊亀元年(715年)、天智天皇の第7皇子である志貴皇子の没後、天皇の勅願によって皇子の山荘跡を寺としたのに始まると伝えられる。また、かつてこの高円山付近に存在した石淵寺(いわぶちでら)の一院であったともいう。石淵寺は空海の剃髪の師であった勤操が建てたとされる寺院である。鎌倉時代になって西大寺の叡尊によって再興され、叡尊の弟子である道照が将来し経蔵に収めた宋版一切経の摺本によって、一切経寺とも呼ばれ繁栄した。室町時代に兵火で建物が焼失し衰退するが、江戸時代の寛永頃に興福寺の空慶により復興される。

住所 奈良県奈良市白毫寺町392

天香久山

天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)は、奈良県橿原市にある山。「天香具山」と表記されることもある。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。

古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。藤原京の東にあることにより太陽信仰の地であったともいわれる。

現在、山頂からは畝傍山を望むことができ、その山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠のうちの1つには高靇神が祀られている。

山の北麓には櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とする天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)、南麓には天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)がある。歴史的風土特別保存地区と国の名勝に指定されている。

住所 奈良県橿原市南浦町

法輪寺

法輪寺(ほうりんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある仏教の寺院。三井寺(みいでら)とも呼ばれ、「法林寺」「法琳寺」とも書く。宗派は聖徳宗、本尊は薬師如来坐像。法隆寺東院の北方に位置する。

本尊薬師如来像と虚空蔵菩薩像も飛鳥時代末期にさかのぼる古像である。三井寺と言う別名は、当寺のある三井の地名に由来し、付近に聖徳太子ゆかりと言われている3つの井戸があった所から来ている。3つの井戸のうちの1つが現存し、国の史跡に指定されている。

住所 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570

松尾寺

松尾寺 (まつおでら)は奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀洛山(ふだらくさん)。本尊は千手観音。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。

日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれる。

住所 奈良県大和郡山市山田町683

瀧蔵神社

瀧蔵神社(たきくらじんじゃ)は奈良県桜井市の神社。瀧藏、瀧倉、滝倉、滝蔵等々の表記もある。川上瀧蔵明神あるいは瀧蔵権現とも呼ばれる。御祭神は伊弉諾尊(中殿)、伊弉冊尊(右殿)、速玉命(左殿)。

輿喜天神とともに長谷寺を守護する地主神として古くから崇拝され、長谷寺奥の院の由縁で、長谷八郷の総鎮守として、飛鳥時代(五~六世紀)より文献に表れる。

滝藏山梵鐘は、応永26(1419)年、長谷寺の高僧善照上人が瀧藏神社の神宮寺の霊験の顕たかさに感激され寄進賜ったもの。瀧蔵神社の権現桜は幹周3.01m、樹高4.2m、推定樹齢300年。奈良県指定天然記念物。

住所 奈良県桜井市瀧倉333

吉祥龍穴

吉祥龍穴(キッショウリュウケツ)は、奈良県宇陀市にある岩窟。竜神が住むと言われ、竜穴神社の背後の渓谷に口を開けている。一帯は古代から磐境(いわさか)神の鎮座する区域とされ、厳粛な雰囲気が漂う。縁結びのご利益があるとされています。

住所 奈良県宇陀市室生

益田岩船

益田岩船(ますだのいわふね)は奈良県橿原市白橿町にある花崗岩の巨大な石造物。つくられた時期や目的などは不明で、亀石・酒船石などと並ぶ飛鳥の謎の石造物の一つで、その中でも最大のものである。

建造時期・用途について、確かなことは不明で、「益田池の造築を讃えた、弘法大師の書による巨大な石碑の台石」「占星術のための天体観測台」「火葬墳墓」「横口式石槨の古墳」などの説がある。

住所 奈良県橿原市白橿町

五劫院

五劫院(ごこういん)は奈良県奈良市北御門町にある華厳宗の寺院である。東大寺末。山号は思惟山。拝観は予約制。

住所 奈良県奈良市北御門町24

相撲神社

相撲神社は奈良県桜井市にある神社。相撲の元祖、野見宿禰が當麻蹴速と力比べをしたという伝承から、相撲発祥の地といわれ、二人が勝負したと伝わる土俵跡がある。穴師の丘、兵主神社の境内にある。勝利のパワースポットだという。恋愛や結婚はもとより、よりよい人間関係を結ぶなどにご利益があるとされています。

住所 奈良県桜井市穴師

藤岡家住宅

藤岡家住宅は奈良県五條市にある江戸時代に建てられた商家。重要文化財。住宅が建てられた江戸時代は薬種業や荒物商を営んでいたと伝えられ、江戸時代末頃からは蝋燭の製造、鬢付油(びんつけあぶら)や鉄漿(おはぐろ)をはじめとする小間物 類、近年は紙類を扱う商家として栄えていた。

藤岡長和氏(明治21年~昭和41年)はここで生まれ、警察署長や和歌山・佐賀・熊本などの知事などを歴任。俳号を「玉骨」といい、与謝野鉄幹・晶子・森鴎外・石川啄木・阿波野青畝など多くの文人と交流のあるホトトギス派の俳人でもあった。

長和氏が使用していた文机が残っており、引き出しには与謝野晶子の手紙が入っていたという。この机がパワースポットだという。

住所 奈良県五條市近内町526

大和葛城山

大和葛城山(やまとかつらぎさん)は、奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境に位置する山。標高959.2m。

近鉄沿線の観光地として和泉葛城山よりも知名度が高いため、単に葛城山と呼ばれることもある。修験道の開祖として名高い役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたとされる山は各地にあり、それぞれの地方で葛城山と呼ばれているが、大和葛城山はその最も有名なものである。

住所 奈良県御所市

押坂山口坐神社

押坂山口坐神社(忍坂山口坐神社 おしさかやまぐちにいますじんじゃ)は奈良県桜井市の神社。御祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)。神社は本殿がなく拝殿のみ。

押坂山口坐神社のクスノキで知られる。幹周7.92m、樹高30m、樹齢約600年。桜井市指定天然記念物。伝承によると、このクスノキは二代目で、初代の楠は室町時代の1397年(応永4年)将軍足利義満が京都に金閣寺を建てる際に、天井板を一枚張りにするため供出されたという。

住所 奈良県桜井市赤尾42

猿沢池

猿沢池(さるさわいけ、さるさわのいけ)は、奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、「猿沢池月」 は南都八景のひとつとなっている。

興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工池である。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。現在、猿沢池園地として整備され、市街地に近いこともあって市民の憩いの場となっている。

住所 奈良県奈良市元林院町

漢國神社

漢國神社(かんごうじんじゃ)は、奈良県奈良市にある神社である。旧社格は県社。園神として大物主命、韓神として大己貴命・少彦名命を祀る。

推古天皇元年(593年)2月3日、勅命により大神君白堤が園神を祀ったのに始まると伝える。その後、養老元年(717年)11月28日、藤原不比等が韓神二座を相殿として合祀したという。かつては春日率川坂岡社と称していたが、韓神の韓が漢に、園神の園が國となり、「漢國神社」という社名になったと伝える。貞観元年(859年)1月27日、平安京内の宮内省に当社の祭神を勧請し、皇室の守護神としたと社伝では伝えているが、平安京の園神社・韓神社の社伝とは矛盾している。

境内社の林神社(りんじんじゃ)は、日本唯一の饅頭の神社。貞和5年(1349年)に中国から来日し、漢国神社社頭に住居して日本初となる饅頭を作ったという林浄因が名前の由来。

住所 奈良県奈良市漢国町6

鍋倉渓

鍋倉渓(なべくらけい)は奈良県山辺郡山添村の神野山山腹にある渓谷。大小の黒色の岩々が幅平均25m、長さ約650mにわたり、まるで溶岩の流れのような景観を造りだしている。

神野山の巨石は星座(天の川・夏の大三角形)を地上に映したものではないかと考えられ、この鍋倉渓は「天の川」を表していると考えられている。他には天狗岩(わし座のアルタイル)、八畳岩(琴座のベガ)、王塚(白鳥座のデネブ)、北斗岩(北極星)、竜王岩(アンタレス)がある。

毎年8月上旬から中旬にかけてライトアップを行っており、光に照らされた神秘的な姿を楽しめる。また、その伏流水は「やまとの水」にも選ばれている。

住所 奈良県山辺郡山添村大塩

源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社(げんくろういなりじんじゃ)は、奈良県大和郡山市にある神社。童謡『やまとの源九郎さん』に歌われている場所であり、地元では「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。日本三大稲荷の一つに数えられ、北向きの本殿に『白狐源九郎』が祀られている。金運、五穀豊穣、交通安全のご利益があるとされています。

源義経が兄頼朝との戦に際し、義経は幾度もこの稲荷に助けられ、この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が、社名の由来となっている。

翁の姿をした源九郎狐が、長安寺村の宝譽という僧の夢枕に立ち、郡山城に自分を祀ってくれたら城の守護神になろうと告げたので、宝譽は豊臣秀長にこのことを告げ、城内竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられている。

また、大和郡山の柳三丁目に帽子屋があり、ある冬の夜婦人が綿帽子を三つ買いに来た。代金を源九郎神社へ取りに来て欲しいと言われたが、神社では誰も心当たりがないという。主人が不審に思っていると、境内から綿帽子をかぶった三匹の小狐が現れた、という「綿帽子を買った狐伝説」がある。

五穀豊穣・商売繁盛の御利益があり、4月の第一日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く『源九郎稲荷春季大祭』が行なわれる。

住所 奈良県大和郡山市洞泉寺町15

氷室神社

氷室神社(ひむろじんじゃ)は、奈良県奈良市の神社。シダレザクラが、「奈良一番桜」といわれ早咲きで知られる。

住所 奈良県奈良市春日野町1

龍田神社

龍田神社(たつたじんじゃ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある神社である。式内社で、旧社格は県社。崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。

伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。

元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。

明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の官幣大社龍田神社(現・龍田大社)の摂社となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。

住所 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6

阿紀神社

阿紀神社(あきじんじゃ)は奈良県宇陀市大宇陀迫間(おおうだはさま、旧大宇陀町域)に鎮座する神社。旧社格は県社、延喜式内社。旧称は阿貴宮および神戸大神宮、通称は神戸明神。開運、満願成就のご利益があるとされています。

神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わる。安土桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと改められた。江戸時代前期に能舞台が建設され、能が上演されるようになる。明治35年に郷社から昇格して県社に列格した。

神社から川ひとつ隔てたところに「高天原」と呼ばれる丘があり、阿紀神社の式年造替の際に仮遷座を行う場所であったと伝えられている。この高天原がパワースポットとされている。

住所 奈良県宇陀市大宇陀迫間252

新薬師寺

新薬師寺(しんやくしじ)は、奈良市高畑福井町にある華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。眼病平癒にご利益があるとされています。

奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている。

住所 奈良県奈良市高畑町1352

笠山荒神社

笠山荒神社は、奈良県桜井市の神社。日本三荒神のひとつ。荒振神(あらぶるかみ)を畏れ敬う神社。初めて火を起こし、ものを煮て食べることを教えられた土祖神・興津彦神・興津姫の三神を祀る三宝荒神である。「笠の荒神さん」として親しまれ、かまど(台所)の神様としての信仰が厚い。火鎮め、厄除け、土建、縁結び、知恵授けなどのご利益があるとされています。

住所 奈良県桜井市大字笠2415

葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社(かつらきいますほのいかづちじんじゃ)は、奈良県葛城市笛吹(旧新庄町笛吹)にある神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は郷社。通称笛吹神社。家運隆盛と子孫繁栄のご利益があるとされています。

住所 奈良県葛城市笛吹448

片岡山達磨寺

達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は片岡山。本尊は、千手観音・達磨禅師・聖徳太子。

達磨寺の境内には達磨寺1号墳・2号墳・3号墳と称される3基の古墳(6世紀頃の築造)が存在し、このうちの3号墳の上に本堂が建てられている。この古墳は平安時代には聖徳太子ゆかりの達磨禅師の塚であると信じられていたようである。寺院としての形態が整うのは鎌倉時代以後と思われる。

住所 奈良県北葛城郡王寺町本町2-1

鏡作神社

鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町の神社。正式には鏡作坐天照御魂神社という。

祭神は天照国照日子火明命、石凝姥命、天児屋根命で、古来から鏡鋳造の神として信仰された。このうち石凝姥命は、天照大神の御魂の神爾の鏡として内待所に祀る鏡を鋳造したとされる神で、社伝ではその試鋳の鏡が鏡作神社のご神体であると伝える。

この神社では、毎年2月下旬に御田植祭が行われる。お田植舞、豊年舞、牛使いが行われ、近隣の氏子でにぎわう。牛使いが乱暴にすると慈雨に恵まれるという。

住所 奈良県磯城郡田原本町大字八尾816

野口王墓

野口王墓(のぐちのおうのはか)は、奈良県高市郡明日香村にある古墳。形状は八角墳。古墳時代終末期の古墳である。

宮内庁により「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」として第40代天武天皇・第41代持統天皇の陵に治定されている。『日本書紀』には「大内陵」と記される。律令国家の形成を成し遂げた夫婦が同じ陵に眠られている。

住所 奈良県高市郡明日香村

薬師堂

奈良県高市郡明日香村大字上(かむろ)に鎮座する薬師堂。長安寺薬師堂とも言われる。如来像は像高87cmの桧材一木造りの薬師如来が祀られているが、現在は拝観することはできない。

住所 奈良県高市郡明日香村上

弥山神社

弥山神社は、奈良県吉野郡の弥山山頂にある神社。天河神社の奥宮。

住所 奈良県吉野郡上北山村西原

鴨都波神社

鴨都波神社(かもつばじんじゃ)は、奈良県御所市にある神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。

積羽八重事代主命(事代主)と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する。葛城氏・鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)に対して「下鴨社」とも呼ばれる。事代主神は元々は鴨族が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源である。大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大国主の子に当たることから、「大神神社の別宮」とも称される。

下照姫命については、事代主とともに祀られることに疑問があることから、元は別の神が祀られていたものとみられる。当社の古い社名は「鴨弥都波(かもみつは)」であり、「鴨の水際(みづは)の神」と解せる。当地は葛城川と柳田川の合流地点であり、元々は水の神を祀っていたものとする説がある。また、事代主の妹である高照姫命が祀られていたのが下照姫命と混同されたとする説もある。

社伝によれば、崇神天皇の時代、勅命により太田田根子の孫の大賀茂都美命が創建した。一帯は「鴨都波遺跡」という遺跡で、弥生時代の土器や農具が多数出土しており、古くから鴨族がこの地に住みついて農耕をしていたことがわかる。遙拝所付近がパワースポットだという。

住所 奈良県御所市宮前町514

戒長寺

戒長寺(かいちょうじ)は奈良県宇陀市榛原区にある真言宗御室派の寺院である。山号は戒場山(かいばさん)。本尊は薬師如来。

大和富士と呼ばれる額井岳(816m)の東、戒場山(737.6メートル)の中腹の高台に位置する。寺の創立や沿革は明らかでなく、寺伝では聖徳太子が建立し、後に空海(弘法大師)が修業したと伝わる。

住所 奈良県宇陀市榛原区戒場386

頭塔

頭塔(ずとう)は、奈良市高畑町にある土製の塔。1辺30m、高さ10m、7段の階段ピラミッド状の構造をしている。

奈良時代の僧、実忠によって造営されたといい、かつては「土塔」(どとう)と呼ばれ、「どとう」が転訛して「ずとう」と称されるようになったらしい。

東西南北の各面に石仏を配置する。1922年(大正11年)、国の史跡に指定された。奈良のピラミッドとして注目されている。

住所 奈良県奈良市高畑町922

コスモス寺

般若寺(はんにゃじ)は、奈良市北部・奈良坂(奈良きたまち)に位置する真言律宗の寺院。山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。

住所 奈良県奈良市般若寺町221

手向山八幡宮

手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、奈良県奈良市に鎮座する神社。手向山神社とも言われる。奈良市街東部の手向山麓に位置する。出世開運から始まり、武運長久、良縁祈願、恋愛成就、夫婦和合、安産祈願、子育大願、航海安全、国家安寧などのご利益があるとされています。

手向山八幡宮は、聖武天皇が大仏造営に際し、東大寺の鎮守の神として天平感宝元年(749年)宇佐より招聘、鏡池の辺りに祀り、その後、北条時頼が建長2年(1250年)現在地に移したもの。手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。

住所 奈良県奈良市雑司町434

率川神社

率川神社(いさかわじんじゃ)は、奈良市最古の神社といわれる大神神社の摂社。本殿は一間社流造の社が3棟並んで立っている。中殿には神武天皇の皇后五十鈴姫命、右殿には母の玉櫛姫命、左殿には父の狭井神を祭っている。

両親が子を守るようにして立っていることから、俗に子守明神といわれる。毎年6月17日に大宝年間より続くと言われる百合祭(三枝祭)が催される。

蛙の形に似た蛙石(かえる石)という石がパワースポットと言われている。またの名を「撫で蛙」。蛙は古来より縁起の良い動物で、再生・豊富・裕福のシンボルとされている。「若がえる」「無事かえる」「お金がかえる」など、何か「かえってきてもらいたい物・事」がある方は、この石に祈願すると良いという。

住所 奈良県奈良市本子守町18

子嶋寺

子嶋寺(こじまでら)は奈良県高市郡高取町にある高野山真言宗の寺院。山号は子嶋山(報恩山とも)。本尊は大日如来。開山は寺伝では僧・報恩と伝える。

平安時代中期作の国宝・両界曼荼羅図(子島曼荼羅)を伝えることで知られる。「清水の舞台」で知られる京都東山の清水寺は子嶋寺の僧・延鎮によって開かれたとされ、平安時代中期以降は真言宗子嶋流の道場として栄えるなど、歴史的に重要な寺院である。大和七福神(信貴山朝護孫子寺、久米寺、子嶋寺、小房観音寺、談山神社、當麻寺中之坊、安倍文殊院)のひとつ。

住所 奈良県高市郡高取町観覚寺544

南都鏡神社

南都鏡神社(なんとかがみじんじゃ)とは、奈良県奈良市にある神社である。藤原広嗣を祭神とする。大同元年(806年)に新薬師寺の鎮守として境内南側にて創建された。藤原広嗣が処刑された唐津の鏡神社から勧請を受けたものと伝えられる。

住所 奈良県奈良市高畑町

聖武天皇陵・光明皇后陵

聖武天皇陵・光明皇后陵(佐保山南陵、佐保山東陵)は、奈良県奈良市多門町にある奈良県奈良市にある陵墓。

聖武天皇陵は転害門を挟んで東大寺金堂と相対する。その東側に光明皇后陵があり、天皇陵とは道でつながっている。

住所 奈良県奈良市多門町

大師の硯石

大師の硯石は、奈良県山辺郡山添村にある岩。塩の入手に苦労していた山添村にやってきた弘法大師が、そういった集落の人々の苦境を見かねて、手に持っていた杖で岩を叩いたところ、その岩にくぼみができ、そこから海水が湧き出てきたのだと言われる。塩水は決して涸れることがなく、いくら採っても、いつも同じ量を保っているという。また、この水の溜まっている状態で、伊勢湾の塩の満ち引きや、人の生き死にも占えると言われている。

住所 奈良県山辺郡山添村伏拝

百済寺

百済寺(くだらじ)は奈良県北葛城郡広陵町にある高野山真言宗の寺院である。山号はなし。本尊は十一面観音。

百済寺の創建の時期・経緯等は明らかでない。寺は三重塔と小さな本堂を残すのみで、隣接する春日若宮神社によって管理されている。

かつては『日本書紀』舒明天皇11年(639年)7月条に言及されている、いわゆる「百済大寺」(南都七大寺の1つである大安寺の前身)がこの地にあったとも言われた。

住所 奈良県北葛城郡広陵町百済1320

都祁水分神社

都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)は、奈良県奈良市の神社。大和国水分四社(都祁、宇太、吉野、葛城)の一つであり、水の神様として信仰される。

現在の本殿は、室町時代に建てられたもので、一間社春日造、檜皮葺き。本殿前にある1対の狛犬は鎌倉時代末期作といわれ、一般のものと比べ頭が小さいのが特徴。

住所 奈良県奈良市都祁友田町182

酒船石遺跡

酒船石遺跡(さかふねいしいせき)は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡。

以前から知られている酒船石に加えて、平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになった。この命名は明日香村教育委員会によるが、研究者の間では酒船石と亀形石造物との関連性を疑う意見も強く、この名称は適当ではないとの意見も存在する。この遺跡は、田身嶺(多武峰:とうのみね)にあった両槻宮の一部、あるいは両槻宮への入り口施設とする見解が有力視されている。

住所 奈良県高市郡明日香村岡

東大寺二月堂

東大寺二月堂は奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。

奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、大仏開眼の752年、良弁の弟子である実忠(じっちゅう)によって創始された。現在に至るまで1200年以上もの間、一度も途絶えたことがなく、「不退の行法」といわれる。

本尊は大小2体の十一面観音で、1体は内陣中央に安置され、「大観音」(おおがんのん)と呼ばれ、もう1体は厨子に納められ、通常は大観音の手前に安置されているもので、「小観音」(こがんのん)と称される。大観音・小観音ともに絶対の秘仏で、修二会の法要を務める練行衆さえもその姿を見ることは許されない。

近くの三月堂(法華堂)には不空羂索観音立像が、四月堂(三昧堂)には千手観音立像がそれぞれ安置されており、二月堂周辺の「上院」と言われるエリアは観音様のパワースポットとなっている。

住所 奈良県奈良市雑司町

鎮宅霊符神社

鎮宅霊符神社(ちんたくれいふじんじゃ)は、奈良県奈良市陰陽町の神社。御祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。付近は陰陽師の住む地区で、かつては陰陽師鎮守の祭壇所であったという。

住所 奈良県奈良市陰陽町5

帯解寺

帯解寺(おびとけでら)は、奈良市今市町にある華厳宗の寺院。本尊は地蔵菩薩。安産祈願の寺として知られ、山号も子安山である。奈良市南郊に位置し、JR桜井線帯解駅から程近い。子宝、安産祈願などにご利益があるとされています。

住所 奈良県奈良市今市町734

長岳寺

長岳寺(ちょうがくじ)は奈良県天理市柳本町にある高野山真言宗の寺院。山号は釜の口山(かまのくちさん)、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は空海(弘法大師)とされる。関西花の寺二十五霊場第19番札所。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。釜口大師の名で親しまれている。

天長元年(824年)に淳和天皇の勅願により空海(弘法大師)が大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという。盛時には48もの塔頭が建ち並んでいた。

住所 奈良県天理市柳本町508

慈光院

慈光院(じこういん)は奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。

寛文3年(1663年)に石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立。慈光院の名は父・貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から採られた。

住所 奈良県大和郡山市小泉町865

穴師坐兵主神社

穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。

住所 奈良県桜井市穴師1065

村屋坐弥冨都比売神社

村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社である。式内社で、旧社格は県社。大和三道の一つ「中つ道」(橘街道)に面して鎮座している。三穂津姫命(別名 弥富都比売神)を主祭神とし、大物主命を配祀する。三穂津姫命は大国主命の后神であり、記紀神話では大物主と大国主は同神としている。大物主命は大神神社の祭神であり、その后神を祀る当社はその別宮とされる。

住所 奈良県磯城郡田原本町蔵堂423

聖林寺

聖林寺(しょうりんじ)は奈良県桜井市にある真言宗室生寺派の寺院である。山号は霊園山(りょうおんざん)、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は定恵 定慧(じょうえ)とされる。国宝の十一面観音立像を所蔵することで知られる。

聖林寺は桜井市街地の南方、北方に奈良盆地を見下ろす小高い位置にある。伝承では和銅5年(712年)に妙楽寺(現在の談山神社)の別院として藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が創建したという。妙楽寺の後身である談山神社は当寺のはるか南方の山中に位置する。聖林寺の近世までの歴史は不明の部分が多いが、妙楽寺とともに、大神神社(おおみわじんじゃ)とも関連が深い寺院であったと思われる。江戸時代には性亮玄心(しょうりょうげんしん)が三輪山の遍照院を移して再興したという。

住所 奈良県桜井市下692

稲蔵神社

稲蔵神社は奈良県生駒市の神社。御祭神は生魂明神(いくむすび)、大宮能御膳神(おおみやのめみけつのかみ)ほか。稲蔵明神とも呼ばれる。

境内裏の稲蔵の森と呼ばれる山の中には、烏帽子岩という磐座がある。高さ6m、周囲12mの花崗岩の巨岩。饒速日尊が河内哮ヶ峰に天降った際、共に天降った二神がこの岩に宿ったという。神社そばのため池は東生駒川の源流でもある。

住所 奈良県生駒市小明町1793

十二柱神社

十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)は奈良県桜井市の神社。神代の七神とその後の地神五神を祭神とする。垂仁天皇のころ、当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取り、勝者となった野見宿彌(のみのすくね)の五輪塔が移されている。

神社境内には野見宿彌の顕彰碑や五輪塔が建てられている。また神社参道の石段を登った所にある狛犬の台座には珍しい相撲取りの人形が見られ、片方4人ずつで大きな狛犬を支えている。また武烈天皇の泊瀬列城宮址(はつせのなみきのみやあと)の石碑も立っている。

大昔は、神殿が無く巻向山にあるダンノダイラの磐座を礼拝していたという。明治の初め頃まで、年に一度、全村民がダンノダイラへと上り、出雲の先祖を祀り偲んでいた。

住所 奈良県桜井市出雲650

矢田坐久志玉比古神社

矢田坐久志玉比古神社(やたにますくしたまひこじんじゃ)は、奈良県大和郡山市矢田町にある式内社、別名「矢落(やおち)神社」。 延喜式神名帳に記載されている大和国添下郡十座の筆頭社。旧社格は大社。祭神である櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだという、先代旧事本紀に記されている故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われる。プロペラが奉納され楼門屋根裏から吊されている。子孫繁栄・縁結び・夫婦和合・子育てなどにご利益があるとされています。

住所 奈良県大和郡山市矢田町965

大和神社

大和神社(おおやまとじんじゃ)は、奈良県天理市にある神社である。旧称朝和之宮(あさわのみや)。勝負運にご利益があるとされています。

日本書紀によれば、元々倭(日本)大国魂神は天照大神とともに大殿に祀られていたが、世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは、両神の勢い畏れ、崇神天皇6年(紀元前92年)、倭大国魂神を皇女渟名城入姫を斎主として祀らせた。しかし、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。崇神天皇7年(紀元前91年)、倭迹迹日百襲媛命が夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。また同年11月にも同じようなことが起こり、大倭直の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)を祭主として、神地が定められ鎮座・創建された。

住所 奈良県天理市新泉町306

宇太水分神社

宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市にある神社。芳野(上社)・古市場(中社)、下井足(下社)の3社がある。古市場の由緒によると、創立は崇神天皇の時代で、大和の東西南北に祀られた水分のうち東に当たるのが中社とされる。2003年の社殿の塗り替えの時にわずかに残された色彩が発見されそれを元に復元された。

住所 奈良県宇陀市菟田野区古市場241

竹林寺

竹林寺(ちくりんじ)は、奈良県生駒市有里町にある律宗の寺院。山号は生馬山。本尊は文殊菩薩騎獅像。奈良時代の著名な僧・行基の墓があることで知られる。

住所 奈良県生駒市有里町211-1

気都和既神社

気都和既神社(氣津分神社、けつわけ神社)は奈良県高市郡明日香村の神社。御祭神は気津別命(けつわけのみこと)、天児屋根命(天津兒屋根命)。

社地は、「茂古森(もうこの森)」と呼ばれる。藤原鎌足が、暗殺した蘇我入鹿の首に追われて飛鳥板葺宮から当地まで逃げ、「もう来ぬだろう」と言ったことに由来するという。鎌足が腰をかけた石も残っている。

拝殿はなく、一段高いところに祠が二つあり、一つは明治末年に合祀された春日神社である。けつわけの「けつ」は食物を意味し、豊受の「ウケ」、ケツミコの「ケツ」と同じだとも言う。多武峰からの地脈・水氣の流れの中継地に位置するという。

住所 奈良県高市郡明日香村上172

葛神社

葛神社は奈良県宇陀市の神社。御祭神は天照大神。境内社に三輪明神社(大名貴大神)、垣内磐座社(九頭龍神)、飛地境内社に祇園社(素盞嗚尊)を祀る。

社伝では垂仁天皇の二十五年春、天照大神の神霊が篠畑の地に遷られた時、御導守の神豊耜入姫命・倭姫命を篠畑の神の摂社としてお祭りした。中古以来、祭神を天照大神とするようになったと言う。享和二年(1802)の洪水で社殿が流失したので、現在地に遷座した。

住所 奈良県宇陀市榛原山辺三1145-1

正暦寺

正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)にある寺院。菩提山龍華寿院と号し、奈良と天理の間の山あいに位置する。菩提山真言宗の本山(単立寺院)。本尊は薬師如来である。「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。

また、境内を流れる菩提仙川の清流の清水を用いて、初めて清酒が醸造されたという伝承があり、「日本清酒発祥之地」の碑が建つ。

山号の菩提山は、奈良の東山一帯を釈迦修行の聖地に見立て、鹿野園(ろくやおん)・誓多林(せたりん)・大慈山(だいじせん)・忍辱山(にんにくせん)・菩提山と名付けた五大山の一つである、菩提山に由来する

住所 奈良県奈良市菩提山町157

葛木御歳神社

葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)は、奈良県御所市にある神社である。式内社(名神大社)。御歳は「みとせ」とも読まれる。葛城御歳神社と表記されることもある。

御歳神を主祭神とし、大年神と高照姫命を配祀する。日本全国にある御歳神社・大歳神社の総本社とされる。葛城氏・鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(高鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)に対して「中鴨社」とも呼ばれる。

創建の由緒は不詳である。当社の背後に御年山(みとしやま)があり、これを神体山として田の神を祀ったものとみられる。最も古い記録は『新抄格勅符抄』の天平神護元年(765年)「御年神十三戸、大和三戸、讃岐十戸」とあるものである。仁寿2年(852年)には、当時大和国で最高位となる正二位の神階を贈られ、延喜式神名帳では名神大社に列している。平安時代以降、一帯は春日大社・興福寺の荘園となっており、当社は春日大社の影響下にあった。現在の本殿は、江戸時代に春日大社の本殿第一殿を移築したものである。

日本三代実録によれば、貞観8年(866年)、朝廷が任命した神官を当社が拒否したという。それ以降、大正時代まで神職は置かれていなかった。

住所 奈良県御所市東持田269

芳徳寺

芳徳寺(ほうとくじ)は、奈良県奈良市にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は神護山(じんごさん)で、本尊は釈迦如来三尊。芳徳禅寺とも称される。

柳生藩主柳生氏の菩提寺。柳生の地区を一望できる高台に位置し、門前の坂の途中に正木坂剣禅道場を構える。柳生家の墓地は元々は中宮寺(現・奈良市柳生下町)にあったが、芳徳寺の創建に伴って改葬され、芳徳寺裏の墓地に柳生藩主・柳生氏一族代々の墓石が80基あまりが並ぶ。北から寺へ登る坂が霊源坂、その登り口の橋は古楓橋であり、東南の小高い台地である山王台(清風台)とともに柳生十景に挙げられている。また、霊源坂の中ほど東側の地が柳生宗厳(石舟斎)の居住地とされる。

住所 奈良県奈良市柳生下町445

不退寺

不退寺 (ふたいじ)は、奈良市法蓮町にある真言律宗の寺院。本尊は聖観音 聖観世音菩薩。仁明天皇の勅願を受け、在原業平が開基したとの由緒から「業平寺」とも呼ばれる。山号は金龍山。

奈良市街北部に位置し、南方を関西本線が斜めによぎる。境内には四季折々、レンギョウ、ツバキ 椿、カキツバタ、キク 菊などが咲き乱れ、晩秋にはカエデ 紅葉、ナンテンなどが見られる。

寺伝によれば、大同4年(809年)、平城天皇が譲位してのち隠棲し「萱の御所」と称したのが始まりとされ、その後平城天皇の皇子である阿保親王、更に阿保親王の5男である在原業平が暮らしたという。伊勢神宮参詣時に受けた神勅を機に、業平が自ら聖観音像を刻み、「不退転法輪寺」と号して阿保親王の菩提を弔ったのが、寺院としての始まりと伝えられている。

住所 奈良県奈良市法蓮東垣内町517

法起寺

法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。古くは岡本寺、池後尼寺(いけじりにじ)とも呼ばれた。山号は「岡本山」。本尊は十一面観音。

聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。寺名は元来「ほっきじ」と読んだと思われるが、20世紀末頃から「ほうきじ」と読むことが多くなっている。世界遺産・法隆寺が所在する斑鳩(いかるが)の里には、他にも法起寺、法輪寺、中宮寺など、聖徳太子ゆかりの古代寺院が存在し、この地が早くから仏教文化の栄えた地であったことがわかる。

法起寺は法隆寺東院の北東方の山裾の岡本地区に位置する。この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、太子の遺言により子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりとされている。境内周辺の発掘調査の結果、掘立柱(礎石を据えずに地面に直接柱を立てる)建物の遺構が検出されたことから、法起寺創建以前に何らかの前身建物が存在したことは確認されている。創建当時の法起寺の伽藍は、金堂と塔が左右(東西)に並び、法隆寺西院の伽藍配置と似るが、法隆寺とは逆に金堂が西、塔が東に建つもので、このような形式を「法起寺式伽藍配置」と称している。なお、創建当時の建築で現存するものは三重塔のみである。

住所 奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873

矢田寺

矢田寺(やたでら)は、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。正式の寺号を金剛山寺(こんごうせんじ)という。学業・安全・良縁・厄除けなどにご利益があるとされています。

住所 奈良県大和郡山市矢田3506

法起院

法起院(ほうきいん)は奈良県桜井市初瀬に所在する長谷寺の塔頭寺院である。宗派は真言宗豊山派。本尊は徳道上人。西国三十三所番外札所である。

寺伝によれば奈良時代の天平7年(735年)に西国三十三所を創始したと伝えられている徳道がこの地で隠棲した事に始まるとされる。徳道は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したと言われる。当院の名称はそれに由来する。境内には徳道の廟と伝えられる十三重石塔がある。

江戸時代前期の元禄8年(1695年)長谷寺化主の英岳僧正が寺院を再建し、長谷寺開山堂とした。徳道上人が法起菩薩と化されて松の木に登られた時の「上人沓脱ぎ石」であるといわれている石がある。この石に触れると願いごとが叶うという。

葉の裏に先の尖ったもので書くと文字が浮き上がるという多羅葉(タラヨウ)の木がある。(モチノキ科の常緑高樹)。「はがき」の由来になったといわれる木で、法起院のこの葉書きの木に願いごとを書けば願いが叶うといわれている。

住所 奈良県桜井市初瀬776

達磨寺

達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は片岡山。本尊は、千手観音・達磨禅師・聖徳太子。

聖徳太子こと厩戸皇子が片岡山を通りかかったところ、飢えて瀕死の異人に出会った。太子はその異人に当座の寒さと飢えをしのぐため、食物と自分の衣服とを与えた。翌日、使いをやって異人の様子を見に行かせたところ、すでに息絶えていたので、丁重に葬った。それからしばらくして墓の様子を見に行かせると、死体は消えており、衣服だけがきちんとたたまれて、棺の上に置かれていた。これを知った里人は、あの異人は達磨禅師の生まれ変わりに相違ないと言い、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりであるという。

達磨寺の境内には達磨寺1号墳・2号墳・3号墳と称される3基の古墳(6世紀頃の築造)が存在し、このうちの3号墳の上に本堂が建てられている。この古墳は平安時代には聖徳太子ゆかりの達磨禅師の塚であると信じられていたようである。寺院としての形態が整うのは鎌倉時代以後と思われる。

境内には松永久秀の墓がある。寛弘3(1791)年の『大和名所図会』にも描かれている「薬師石」がある。目を閉じて近寄り、両手で抱けば、病気が全癒すると伝えられている霊石。

住所 奈良県北葛城郡王寺町本町2-1

宝国寺

宝国寺(寳國寺)は奈良県御所市の真言宗寺院。山号は葛成山。「室むろ大師・身替みがわり大師」と呼ばれる。本尊は弘法大師(空海像)。元は「法谷寺」と記していた。

寺伝によると、空海が役行者の行跡を訪ねて御所に来て、ここに草庵を結び、本尊「阿弥陀如来」を安置したことに始まる

境内には「瓦岩」がある。その昔、宝国寺に瓦を寄進しようとした人がいたが、本尊に対して違約のことがあり、まだ生乾きであった瓦が一夜にして岩石になったという。ガン封じに霊験あらたかといわれ、患部をさすった手でこの瓦岩を撫でれば、諸病、特にガン封じのご利益が授かると言い伝えられる。

住所 奈良県御所市室

岡本寺

岡本寺は奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派寺院。

飛鳥時代、舒明天皇の岡本宮ともいわれる旧蹟を伽藍として、「岡本寺」としたとも伝えられ、現在の本堂は昭和六十三年(1988)に修復された。本尊「如意輪観世音菩薩」は平安末期の木彫座像で、「子安観音」として、安産、求子、良縁等にご利益があるという。治田神社の麓には弘法大師を祀った遍照殿があり、「あすか大師」として親しまれる。修行大師像の周りには、四国八十八箇所の砂が納められている。境内にある阿字石は子授け、縁結びの御利益を授けてくれるといわれる霊石。

住所 奈良県高市郡明日香村岡1190

銅鳥居

銅鳥居は、奈良県吉野町の吉野山から山上ケ岳まで4つある門のうちの最初の鳥居。「発心門」(ほっしんもん)と書かれた扁額を掲げている。所願成就などのご利益があるとされています。

銅製の鳥居で高さ約8m。修験者は鳥居に手を触れ、「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀(みだ)の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山する。もとは東大寺大仏鋳造の余った銅で建立したともいわれる。

住所 奈良県吉野町吉野山

栄山寺

栄山寺(えいさんじ)は奈良県五條市にある真言宗豊山派の寺院。藤原武智麻呂(むちまろ)により創建された。山号は学晶山、本尊は薬師如来。奈良時代の建築である八角堂(国宝)があることで知られる。 病気平癒・無病息災・厄除祈願・息災延命のご利益があるとされています。

現代の五條市にあたる地域は古代には阿陀郷と呼ばれた。「阿陀」の地名は『万葉集』にも見え、式内社(『延喜式神名帳』に記載された神社)の阿陀比売神社(あだひめじんじゃ)があるなど早くから開けた地域であったと思われる。栄山寺は古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、藤原不比等の長子である武智麻呂が養老3年(719年)に創建したと伝わる。その後、武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで大いに栄えた。南北朝時代には南朝の後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇の行在所が置かれていた。

住所 奈良県五條市小島町502

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日本全国47都道府県のパワースポット巡りは「【パワースポット】日本全国パワースポット巡り【旅行・47都道府県】」をご覧ください。